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#052 ~音楽を始めたきっかけ Surface&かんとくとの出会い~

更新がなかなか遅くなり失礼致しました〜
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私は30歳の頃が音楽的にA-JARIと同じくらい忙しい時期でした。

TTCharlie , ケリーとのプロジェクト(そのうち執筆予定) , その他の作曲アレンジ仕事などなど。

そんなある日、横山輝一さんのディレクター”野中さん”から1本の電話がかかってきました。

「ちょっと相談事があるんだけど、会えないかな?!」


野中さんは横山さんの所属するレコード会社から別のレコード会社に転職したばかりの時期でした。
連絡を頂いた数日後、そのレコード会社の1Fにあったカフェで待ち合わせをして、久しぶりにお会いした。

すると、デモテープと資料を頂いた。

「今度Surfaceというユニットがデビューするんだけれど、デビュー曲はもう楽曲もプロデューサーも決まっているんだけれど、カップリングからセルフプロデュースでやりたいって言ってて、まだ若いからそれを見て貰える人が居たらいいなと思って、チャーリーにお願いできないかな?!」
という相談だった。

楽曲を聞いてみるとハイトーンのボーカルに、なかなか良い楽曲なのと、アー写(アーティスト写真)も格好良いじゃないか!
その場で


「是非是非〜♫」


ということで、Surfaceの音楽監督的なポジションになった。

ギターの永谷君のアレンジ能力も高く、スタジオに入る前に作ってくるアレンジもかなり良く出来ている。
それを私が
「ここをこうしてああすると〜」などとアドバイスをしたりして、レコーディング本番に臨んだ。

デビュー曲、”それじゃあバイバイ” はフジテレビ系ドラマ”ショムニ”というドラマの主題歌でまずまずの出だしだった。

4thシングル “なにしてんの”はこれまたフジテレビ系ドラマ “お水の花道” というドラマの主題歌で、50万枚を超えるセールスを達成した。

ただ、オリコンの順位は最高14位というのがちょっと残念だった。

A-JARIもザ・ベストテンの最上位が14位と一緒だwww

そんな感じでシングル、アルバム、ツアーに参加して、2001年に発表した12thシングル “as ever”発売後、Surfaceの現場を離れた。

私がこの現場を離れた理由は、2人の才能がとても成長したので同年代のミュージシャンと一緒にやっていくと良いよ、と言ったのだ。

時が経ち、2010年に東京国際フォーラムでラストライブ「Last Attraction」という解散ライブを開催するにあたり、連絡がきて、

「ファイナルライブの演奏をして欲しい」


と呼ばれた事はとても嬉しかった。

そんなSurfaceとの出会いの中であまりにもインパクトのあった人との出会いの話しをしよう。

バンドやアーティストのデビュー後によくある事で、デビューした年は全国の大学などの学園祭にライブのゲストのオファーを受ける事が多い。A-JARIもそうだったが、Surfaceも同様、各大学の学園祭ライブゲストに呼ばれた。

その次に全国のライブハウスツアーが始まり、ブレイクするとホールツアーへと昇格していくのだ。


Surfaceはライブの集客率が非常に高い!

ファンも女性ばかりだけではなく、ギターキッズが永谷君のギターテクニックを盗みにやって来ていた。

ライブの規模がデカくなればなるほど、スタッフの人数も増える。

ライブをやるには、アーティストはもちろんミュージシャン、照明、PA、道具、楽器、の担当や、それらを仕切る、舞台監督という人も必要になってくる。

ここの現場にやってきた、福島監督(通常かんとくと呼んでいます)が、リハーサルから本番までの段取りを決めてくれます。


私はここではキーボーディスト兼バンドマスター(通称バンマス)なので、ツアーの開催が決まった時には
1, ミーティングが行われ、
2, アーティストがコンセプトを決め、
3, 曲順を決め、
4, それらをバンマスの私はリハーサルの日程を考えながらリハーサルのスケジューリングを考え、それをかんとくに話し、
5, かんとくは各担当と話し合い、最終日にゲネプロ(本番と同じライブを試験的にやる)を間に合わせられるように段取りをする

という流れがあります。

私はかんとくに「じゃあ、こんな感じでリハーサルを進めていきますね〜」と言うと


「あいよ〜」



とにかく軽いwww

Surfaceは基本打ち込みと同期をしながらライブをやるんだけど、私の音楽を始めたきっかけ#042の打ち込みからもう8年は過ぎていて、打ち込みの仕様が変わってきていた。


当時はMIDIという規格で、楽器を鳴らす打ち込みが主流だったが、Surfaceとホールツアーを始める頃は、Macintoshの性能やハードディスクはとても速くなり、歌のコーラスなど波形の編集をしながら楽器でなく波形まで出力出来る時代になっていた。

録音したデータがそのままライブで使えるということだ!


リハーサルは大体8時間ほどで、その日の打ち込みのデータのバックアップを取るのに、容量が多過ぎて(とはいえ25Gb位、現在なら数分で完了する) 当時のハードディスクにコピーを完了するのに1時間はかかった。


1時間パソコンからハードディスクに転送されているのを見ているのも辛いので、何かして待ってようか?!という事になり、誰が持ってきたか?!覚えていないが、マージャンをすることになったwww

リハーサル終了後、毎回恒例になった 

”マージャンを半荘” 


しかも、隣りにある中華料理屋さんの “ますみや” の料理が美味しいのと直ぐ来るので、チャーハンやラーメンを頼みながらマージャンをやったのは良い思い出だった。

この辺りの話しは長くなりそうなので To be continue

次回につづく〜


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