#015 ~音楽を始めたきっかけ・打ち上げ~
今から36年前の話しなので完璧な記憶は無いけれど、大体こんな感じの話だったと思って読んで下さい。
Hot Waveの決勝も終わり、その日の夜か日を改めた夜かが分からないんだけれど、出演した何バンドかで打ち上げをしに行こう〜ということになり、横浜西口にあるシェーキーズへ行った。
そこにはGoodManやA-JARI、ジャーマンスープレックスホールドは居ただろうか?!
結構な人数だったと思う。
そこで乾杯をして、ピザを食べまくっただろう。
しかし、私の生ビールは何故か辛い。
なんでだろう?!
と思っていたら、私が目を離したすきにA-JARIのベースの守(まもる)が、タバスコを入れてた〜
それで喜んでいるのだから可愛いと思ったwww
今はあるか分からないけれど、当時シェーキーズの店内にはアップライトピアノが置かれていて、お店の人に許可を取って各バンドでキーボード対決が始まった。
当時のA-JARIのキーボーディスト”けーじろー”はメチャクチャピアノが上手かった。
しかも、ギターの藤尾やドラムののぶりんもピアノが弾けるという、とんでもないバンドだった。
GoodManはキーボードがゲタ子だけど、私も参戦した〜
そう、あのラグタイムピアノのスコットジョップリンを弾いた。
楽しい夜だった。
すると、A-JARIのボーカルの本多が、
ピアノが弾けるんだね〜
って言った(と思う)
A-JARIの前でピアノを弾いたのは多分これが最初だと思う。
それからA-JARIとの親交も深くなり、我々のホームグラウンドである、
石川町のジーンジニーでA-JARIと対バンをやったりした。
GoodManのお客さんも次第にA-JARIに惹かれていったのを覚えている。
GoodManの為にギターの藤尾が作ってくれた、
とにかく騒げばHappy Tonight
は、この頃に出来た楽曲である。 名曲だ!
ある日、ゲタ子がブッキングしたライブの日が、私は高校の友達と2泊3日で伊豆下田に旅行に行く日と被ったことがあった。もちろん旅行の方が先に決めていたことだ。
ゲタ子には、
その日ライブ出来ないよ〜
と言ったら、ジャーマンスープレックスホールドのドラムのケン坊にお願いしてみるわ〜ってなことになり、自分のバンドなのに唯一1度だけお休みを頂いた事があった。
ケン坊のドラムは群を抜いた演奏力で、A-JARIのドラマー”のぶりん”も脱帽していた。
あの、ハーフタイムシャッフルが弾けるのぶりんが、だ!
〜そろそろ役者が揃ってきた〜
同時期に、East Westの横浜大会を勝ち残ったGoodManは
神奈川・山梨ブロックの準決勝を渋谷のヤマハエピキュラスで戦った。
これに勝つと、中野サンプラザの決勝に出場出来る!
ジュニア部門は20バンド位居たと思うけれど、決勝は2バンドしか選ばれないし、色んな猛者バンドがいる中、流石に勝てないと思っていた。
しかし、奇跡は起こった!
決勝進出を勝ち取ったのだ!!!!
帰りの東横線で、みんなはニヤニヤが止まらなかったのを覚えている。
決勝〜!決勝〜!って歌ってた。
高校生で、中野サンプラザなんて!夢のような話だ。
もちろん、東京代表では A-JARIが勝ち上がり、9月に中野サンプラザで
再会するのである。
今までのことを思うと、
・井上先生との出会い
・大塚くんのFor Me
・ブラスバンド部でのGoodManになったメンバーとの出会い
・佐竹が買ったBluesBrothersのアルバム
・ゲタ子のブッキング
・タンチの発案した振り付け
・A-JARIとの出会い
・シェーキーズにピアノがあったこと
全てが繋がっていたと思うと、人生って面白い。
A-JARI デビューまであと2年の夏だった。
つづく〜
P,S 出来ればコメント下さい(^o^)/