#018 ~音楽を始めたきっかけ・夢に向かって~
前回からの続き
そして、A-JARIのメンバーは確立された。
ダディの事務所である、プレイフォーメーションという事務所と契約をした。
渋谷のとあるビルの2Fにオフィスがあり、1Fは焼肉屋だった。
ここの焼肉を腹いっぱい食べるぞ〜って思っていたことがあるんだけど。
今も営業を続けているが、1度も入ったことはない。
他のバンドがどういう努力や行動を取って夢に向かっているのは分からないが、
とにかくこのバンドは練習好きだった。
しかも、毎週日曜日の9時から12時まで池袋MIB studioでリハーサルをやるのだ。
これを少なくとも1年以上はやった。
打ち込みなどまだ先の時代の話しなので、デモテープを作ることは出来ず、曲を作るとそれを譜面に書き出して、その譜面をコピーして楽曲のイメージを伝えて練習をした。
お昼になり、リハーサルが終わると近所のお蕎麦屋さんの出前を取るというルーチンもあった。
お蕎麦屋さんの名前、、、思い出せないが、とにかく出前が早いのは覚えている。
そんな横浜出身の私には、小さな夢があった。
渋谷にEggManというライブハウスがあったのだが、我々横浜人からすると、夢の舞台という勝手に思っていたハコ(ライブハウス)だ。
横浜から渋谷へは東横線であっという間に行くことは出来るんだけど、
敷居が違う感じがしていた。これは上手く説明が出来ない。
サザンオールスターズなど、著名なバンドがそこから成り上がっていったハコで、ジーンジニーやシェルガーデンとは一味違う敷居を感じていた。
それと、その頃渋谷にはもう一つ大きなハコがあった。
LIVE INNというライブハウスだ。
ここもカシオペアなど、有名なバンドが出るかなり大きなハコだった。
400名以上入る大ハコだ。
A-JARIになって、EggManでのライブは結構早く叶った記憶がある。
キャパは300名位だ。
また、EggManの向かいには渋谷公会堂があった。
次の目標はここにしよう!と決めた。上を目指すにはどんどんとキャパのデカいハコを意識するようにした。
その階段を登るのには、LIVE INNで満員のライブが必須だろう。
ダディ社長は
このライブの成功を収めるために、合宿をしてきなさい〜と
我々は、埼玉県の山奥にある謎のライブハウスで合宿に行くのであった。
つづく〜
P,S これと同時期に、A-JARIを気に入ってくれたレコード会社のディレクターからのオファーも始まっていた。