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未必の故意

【未必の故意】 行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望したわけではないが、自己の行為から、発生するかもしれないと思い、発生しても仕方がないと認めて、行為する心理状態。故意の一種。『広辞苑 第六版』


 もうすぐ夫は四〇歳になる。会社での健康診断の結果ではもう何年も前から、「要加療」の項目がいくつもある。夫は元々医者ぎらい。一度も病院へ行くと言い出したことはない。わたしも強要したことはない。


 夫に愛人がいると確信を持ったのは、夫が毎日家に帰って来るようになってからである。三年前。娘が三つになった頃。夫は三十六歳、わたしは三十三歳だった。

 男親は娘に甘いと言うが、うちの夫はそうではないらしい。娘だろうが息子だろうが赤ん坊という生きものを好まないようだ。結婚前、わたしの妊娠中でさえ「おれは子どもが大好きだ」と笑っていたが、そこに「赤ん坊」というヒトの成長過程は含まれていなかったのだろう。いつか話し合ったとき、

「想定外だったんだよ」

 と、わたしの顔も見ずに吐き捨てた。

 わたしたちは共働き。平日夫はビジネスホテルに泊まることにすると言った。娘の夜泣きに耐えられないからと。

「お前は経理の事務員だから構わないだろうが、おれは営業職だ。客前であくびなんてできないんだよ」

 金曜の夜に帰宅、土曜日だけわたしを家事・育児から解放させてくれて、日曜日も午後になると、

「あしたの仕事に差し障ると困るから」

 と言って、どこかへ出て行った。

 この頃から疑念はあった。わたしたちは同じ会社で働いている。わたしの部署は経理。夫の収入も把握している。わたしたちはマンションの家賃や食費、水道光熱費、通信料などを引き落とすために、夫名義で専用の口座を持っている。そこへの夫からの入金が途絶えたことは一度もない。毎日ビジネスホテルに宿泊し、夕食を外でとっているとしたら、夫の給料で足りないことは簡単に計算できる。

 だけどわたしはいわゆる「ワンオペ育児」に疲れ果て、神経も麻痺し思考も停止していた。諦め切っていた。

 それがある時期を境に、夫は毎日帰宅するようになったのである。逆に怪しい。その頃には娘も三歳になっていて、夜泣きをすることはなくなっていた。平日、仕事を終えて帰宅する夫は、娘の世話をし、洗たくをし、掃除もした。怪し過ぎる。休日、土日のどちらかはふらりと家から出て行くが、そういうことは娘ができる前からよくあった。でも、疑いは強くなる。

 まだまだ娘から目を離すことはできなかったが、以前よりは心にゆとりができるようになった。わたしは探偵を雇った。よもや、と思ったのである。

 結果は予想どおり。夫には愛人がいた。相手は取引先の受付の女性。子どもが生まれたばかりだという調査結果。

 やっぱり夫は赤ん坊の夜泣きや、予想がつかず思い通りに動かない生きものと共生することができないのだ。

 わたしは調査書の文字を眺めながら考える。

 これを証拠として慰謝料・養育費を受け取って離婚をすることは充分に可能であろう。だけどわたしのあの男に対する憎しみは、それだけでは済まされない、いいや。済ませたくない。

 そうしてわたしは考えた。

未必の故意

 なんとでも言い訳はできる。

「まさかぁ!」

 と開き直ってもいい。

「だって夫に叱られるから……」

 と、モラハラを受けていた可哀そうな妻を演じることだって可能である。

 とにかくなんとでもなるのだ。


 夫は結婚する前から肉が好きだった。しかもたっぷりと味の濃いソースで味つけたものを好んでいた。結婚してからは、わたしは夫のために肉料理を一品余分に用意した。わたしにしても娘が生まれるまで、そのことがそこまでの手間になるとは想定外だった。でも夫は幸いにも、平日は毎晩愛人さん宅へ泊まってくれたので、正直助かってもいた。家にいる土日には夫が肉料理を作ったが、週に一度くらいなら脂っこいものを食べることは、娘とわたしにとっても悪いことではなかった。わたしだってベジタリアンというわけではない。

 もしかしたら今愛人さんは、当時のわたしと同じ気持ちでいるかもしれないと想像することもある。あくまでも「もしかしたら」。

 最近ではあまり娘に手がかからなくなったから、夫のためだけの料理に工夫を凝らすのは苦ではなくなってきた。むしろそれを楽しんでいる。

 毎晩のようにハンバーグ、ステーキ、焼き肉、すき焼き、牛丼などの肉料理を作る。もちろん夫が好きそうな、味の濃いソースや出汁は惜しみなく。塩やしょうゆもたっぷりと。揚げものも出す。天ぷら、鶏のからあげ。油は半年間使い回し。

「お前料理の腕上げたなあ!」

 夫はご満悦である。

 おかずに合わせてビール、日本酒、赤ワイン、白ワイン、ブランデーにウイスキー。好きな酒を好きなだけ飲ませてやる。

「せめてくだものは食べて。ビタミンを摂らなきゃ」

 リビングでビールを飲みながら、テレビのサッカー中継を見ている夫の元へ、皿に盛ったくだものを持って行く。

 わたしはくだものには特に、お金を惜しまずに投入する。マンゴー、パイナップル、ぶどうなら巨峰、マスクメロン。糖分、果糖の多いものを夫に食べさせる。ときどき娘は、

「お父さんだけズルいー!」

 と言うので少しだけ食べさせてあげている。

 夫と並んで嬉しそうに笑いながらくだものを食べている娘を見ていると、ときどき自分のしていることについて疑問を感じる。わたしは元々復讐に対して否定的だった。戦争についてはいつもそう思う。報復の連鎖を生むだけだ、と。だけど家のこととなると、そんな理性では感情を抑え切れない。娘がいとおしければいとおしいほど、夫への憎しみは強くなっていく。

「おかあさーん」娘がソファから、キッチンで洗いものをしているわたしを振り返る。「お父さんとポテトチップス食べていい?」

「いいわよ」わたしは明るい声で言う。「一人で食べ切れなくなったらお父さんに食べてもらうのよ」

「やったぁ!」

 娘はまだ一袋の三分の一ほどしか食べられないことをわたしは知っている。

 カップ麺も買い置きしてある。夫が夜食に欲しがったら、食べることを快く許してあげる。日中であれば、ときどき娘にも二口三口味見をさせる。

「美味しいけど、食べ過ぎちゃダメよ」

 娘にはそう付け加えている……。


 そんな暮らしが三年。娘は小学一年生。わたしは三十六歳になり、夫は三十九歳になる。

 もうすぐ夫は四〇歳である。会社での健康診断の結果ではもちろん「要加療」の項目がいくつもある。夫は元々医者ぎらい。相変わらず、病院へ行くと言い出したことは一度もない。わたしも強要したことはない。この先強要するつもりも一切ない。


 だけど……。

 ネットニュースを読んでいて、ときどきふと感じてしまうのだ。

 もしかしたら動機こそ違えど、わたしたちも「何か」から……?


四百字詰め原稿用紙九枚 了

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