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俺の誕生日の主人公は俺じゃないな、と俺が思った日

僕は2/9で26歳になった

誰に言うわけでもなく静かに、しっぽりと、毎日と変わらない温度感で、でも自分の中ではしみじみと感じながら過ごしてみた
思えばめちゃくちゃ記憶に残る誕生日の過ごし方をしたことがあっただろうか
青春高校に出てた時、大食事会で祝ってもらった ことがあったな
違う年に友達が働いていた韓国料理屋さんに行ってみんなが祝ってくれた
思い返してみると、なんらかの集団に帰属していた時期はそういうふうに祝ってもらってたなと
高校の時は部活のみんなに
大学の時はどうだったかな、、、
いや待て、そもそもこの2月ってのが厄介で、 今の所人生の大半を過ごしている学生時代はどこも入試期間とかで学校が休みでみんなに会えないわけだ
早生まれの宿命だ
どうりでクラスメイトの顔が思い浮かばないわけだ

社会人と言われる年齢を迎え、会社に属さずに個人として生きるっていう選択肢をとってみた
すると、毎日が奇跡的な連続で成り立っていることを実感する
そもそもお母さんとお父さんが出会話なければ俺は生まれてないし
お母さんお父さんもそれぞれの両親が出会ってなければ生まれてないし・・・
それもあって、誕生日に限らず世に蔓延ってる
「この日は感謝しましょうキャンペーン」に執着しなくなった
母の日とか父の日とか
いや、いつも感謝しとるわい
と言う世間が作った大きな流れに対しての反抗期もある
もちろんプレゼントは嬉しいから自分が親の立場になった時には欲しいなというエゴはある(笑)
とはいえ、SNSとかで祝ってもらっているところを見ると憧れみたいな部分がないわけではない
し、すごいな〜って思う
自分は根っから自分に自信がないのもあってか
今日誕生日なんだよって自分から言い出すのちょっと恥ずかしい

みんな、俺におめでとうって言ってー!!ってアピールしてるみたいで

中学の時にある授業で座席が1番前に座っていた独特な感性持ってた子が
話の流れは忘れたけど「今日誕生日なんです」って言ってた
参加したイベントでは、フリーステージで
「今日、誕生日でーす!」って叫んでるやつがいた
そんな光景を目の当たりにしてきた自分の感情は、中学の時も、割と最近だったイベントの時も変わらず
「すげぇな」だった
これは全部個人的な話でしかなくて 、自分と違う感覚だなって話
あと、誕生日を祝うのは大好き

自分から言い出すことは恥ずかしい
だからLINEで誕生日を設定してなかったりする
でもみんなから祝われるのいいよな〜って思う
甘いの大好きだからケーキとか食べたいしね
とか前日まで考えていたところにメッセージが来た

それはお母さんからの誕生日おめでとうだった
2/9生まれの息子に、フライングと言うことを自覚した状態で前日の2/8に
誕生日おめでとうと送ってきたのである
26年前はまだ腹を痛めていたタイミングなのに
忘れてて遅くなっちゃったとかでもなく
忘れそうだから先に送っとくねと言う、フライングメッセージ
こんなにも明日の自分に期待してない母親はいるんだろうか
ちなみにここ数年ぐらいずっとそう

誕生日当日、遠くナイジェリアにいるお父さんからメッセージが届いた
ナイジェリアとの時差は-8時間
お父さんから連絡が来たのは日本時間の8:30
つまり日付が変わってからメッセージくれた
覚えてなきゃできない芸当だ
最近帰国してきた妹も連絡をくれた
ようやく携帯が手に入ったからどうでもいい内容が送られてくることもしばしば
我が家は5人家族で弟もいる
弟も連絡をくれると思いきや、無関心
自分の視野に入らないとおめでとうとは言わない
通常運転すぎてもはや心地よい

そんな連絡に心があったまって、すごく満たされた
連絡もらった瞬間を誰かに撮影されていたら、結構にやけていたと思う

誕生日プレゼントとか欲しいものもらえたりするから超ラッキーとずっと感じてたけど 、日常に目を向けるといろんなギフトで溢れているから割と日々満足するおかげで誕生日に特別欲しいものがなくなってきた

そんなこんなで、誕生日の日に家族に対しての感謝がブワ〜っと溢れた
お母さん、お父さん
産んでくれてありがとう
どうやら一番手のかかる子供だったみたいで
1人目でお母さんはどう育てていったらいいか手探り状態
夜泣きがうるさすぎたらしく、その度に夜な夜なお母さんが自分を車に乗せて自分が寝るまで運転する日が多々あって
そのおかげでお母さんはペーパードライバー卒業したとか
ぶくぶく太っていったけど、歩き始めてすごい勢いで痩せたり
海外にも結構連れてってくれたみたい

お母さんに何回お父さんとの馴れ初めを聞いても忘れたって言ってかわしてくる
そんな適当具合が好きで、何言ってもいいよって言ってくれるおかげで会社に入らずフラフラできてる
お父さんは学歴社会の色が強いナイジェリアで育った分、しっかりしていて
将来設計をしっかりして欲しいみたいだけどめちゃくちゃ愛情注いでくれている
学費も心配するなって言ってくれたり

そんな2人だからお父さんが家庭内で権力握ってるかと思いきや、買い物するときの主導権はお母さんにあったり
なんでもない日にお母さんにプレゼントみたいなのを買ってくる日もあった
それを喜びつつも、お母さんは疑ってたりしてた
お父さんが日本発つ前にお母さんが欲しいもの買うとか
ほっこりする瞬間をたくさんみてきて、だから家族といる時間は心地よくて
一時期、毎週日曜日にコストコに行くのが決まった行事になっていた
その時は毎週コストコに行くのが楽しみだった

そういうの特に考えてなかったけど
夫婦の理想像って聞かれたら確実に自分のお母さんとお父さんって答える

お母さんとお父さんが出会って、俺を産んでくれて、名前をつけてくれたおかげで
2/9にエゼマタ健太チャールズが誕生しました

ありがとう、お母さん

Thank you, Daddy

誕生日は自分が生まれてきた日をみんなに祝ってもらうもんだと思ってた
もちろんそれでいいんだけど
誕生日は親に感謝して過ごす日だなと自分の心に明確に刻まれた日になった

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