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自分の中の「当たり前」

こんにちはチャリツモインターンのつむじです!
今日は「共働き夫婦が家事・育児にかける時間」の記事を読んでわたしが思ったことをシェアさせてもらいたいと思います。

1980年から現在までに専業主婦は減り、共働き夫婦の数が逆転したのに、なんで育児の時間の差はそんなに変わらないんでしょう?大きな 理由は主に、男性は外で働く、女性は家で家事育児という世間の「当たり前」から来ているように感じます。ちなみに、社会の仕組みも、私たちの「当たり前」に沿って作られていますもんね。(どっちが先かはニワトリたまごですが)

こういうことを話しているとやっぱり既存の社会システムや政治が変わらないとダメだ、と思うのですが、政治家うっかり失言TIMELINEを見ても分かる通りなかなか難しそう。

じゃあ、わたしたち個人ができることってなんでしょう?
私だってこの 政治家たちみたいに自分の中の「当たり前」を持っているはず。
でも、もちろんこの社会の中にはさまざまな人がいます。

妻より家事・育児が好きな夫もいます。
夫より外で働くことが得意な妻もいます。
夫婦別姓がいい人もいます。
事実婚がいい人もいます。
同性婚したい人もいます。

みんな違ってみんないいですよね。

知らない間に築かれている自分の「当たり前」を俯瞰して、分析してみることが自分のことを知るために大切なことなのかもしれない。
そんな思った夏の昼下がりなのでした〜。

暑いのでみなさんご自愛くださいませ。

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