気持ちが浄化されること
子どもが産まれてバレンタインにチョコをもらったのは2年ぶり4回目となる春日です。
♯2年ぶり?
♯通算4回
バレンタインといえば結構儀式的で
とりあえずのイベントになっていて
あの習慣はどうにかならんかなあ
とか思っているのは僕だけですか?
♯モテないヤツのヒガミ
時期がくればギリチョコという名の
一方的なものを半ば暴力的にうけとり、
お返しまでセットになっているからキツイ。
もちろん渡す方もワクワクしていて
貰うほうも嬉しくて
お返しまでワクワクしながら考えて渡す
双方にhappyな関係なら
エニシングOKなんです
でもこれはどちらかが負担に思っていれば
成り立たない話です。
そしてほとんどが昔ながらの文化を
何の疑問もなく行っていて魂をすり減らしている。
ここはどうにかしなければいけない。
勝手に使命感を感じながらだったんですが、
そんなバレンタイン。
7歳の娘は以前よりもすごい完成度で
ワクワクしながらチョコを作成していて
それは自分自身で出来る嬉しさや
喜んでくれる前提のまっすぐな気持ちや
誰かに自分の表現を渡せる大人びた部分だったり。
そんな全てが入ったチョコをもらった。
願わくばこの時のワクワクを
娘には忘れないでいてほしいというエゴと
僕自身もずっと忘れずに持っていたいと思う。
気持ちが浄化されるってこういうことなんだな。
ではまた。
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