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禁止じゃなく共存を考える

早朝ランでう◯こがしたくてたまらなくて、ラン中に本気で野◯そを考えて2回くらい草むらに屈んだのは僕です。その後冷静になってなんとか踏みとどまって、う◯こを我慢した時の対処法が少しずつ見えてきた春日です。
♯なんの話⁉︎
♯しっかりしろ
♯どんだけ◯んこの話に熱くなってんねん

さて。
本日はですね。


「禁止」ではなく「共存」というテーマでお話していきます。

本来の意味を考える

禁止事項でいうと今までたくさんの禁止を見てきました。
その中でも今振り返るとびっくりするのは中学校時代の「無言清掃」ってやつです。あれはかなり度肝を抜かれた。
いや、というよりも当時はおかしいなとも感じていなかったから不思議。
「無言清掃」とは学校の掃除の時間いっさいがっさいしゃべらずただただ黙々と掃除しろってやつです。
しゃべったら怒られる。もちろん気持ちはわかりますよ。
しゃべらず集中して掃除を行いなさいってやつでしょ?

わかりますよ。ええ。
言いたいことはわかります。大人はね。いや、大人といってもこれは年代で相当分かれるかもしれない。

中学生の頃を想像してみてください。
禁止されると余計やりたくなるんですよ。押しちゃダメって言われた非常ベルを押したくなるあの感情。
たまらないですよ。女子更衣室を除いちゃダメと言われた時に穴が空いていればそら覗きますよ。
♯取り乱すな
♯しっかりしろ

でね。話を戻しますが、掃除の目的ってそもそもなんでしょう???
そう。綺麗にすることですよね。
100歩譲って当時の先生方の気持ちを代弁するならば、学ばせてただいた学校に感謝を感じながら綺麗にするとかだと思います。

要は感謝の気持ちと学校を綺麗にすることができれば良いわけですよね。

「しゃべちゃいけない」を全面に持ってくる必要がないんですよ。

ここは相当に履き違えていると思う。
物事の違和感は誰しもが感じる。中学生であれば尚更そのようなことは感じるわけです。

この違和感を感じながらやるというのは相当に限界がある。
そもそも「無言清掃」を行うことを教える先生側も問題解決できていて、矛盾が生じても論破できれば問題はない。
でも先生方もこの矛盾が解決されずに、ただただ以前からこういう決まりだったのでは通用しない。

疑問を抱えながら物事を教えるというのは相当に限界がある。

だからこそ、「禁止」じゃなく「共存」を考えていく。

禁止されるとやりたくなるのが人間の心理。
この「禁止されるとやりたくなっちゃう」と共存することを考える。
そう。しゃべることは仕方ない。しゃべっても良いけどしっかり学校への感謝を思いながらめちゃくちゃ綺麗にしてください。
ってメッセージが必要。
しゃべることを禁止するのはなく、掃除を主に考えて「学校を綺麗にするために」を考える。

喋りながらでも綺麗にできれば問題ないのだ。

「スマホ禁止」の限界

スマホ禁止っていう文化も超絶不思議である。
もちろん、気持ちとしてはわかりますよ。以前は確かに携帯(ぼくの時代はポケベル)がマイノリティーだったから禁止がまかりとおった訳ですが、現在は昭和ではなく令和です。れいわ。
もうスマホは携帯電話ではなく、pcにも携帯にも、株の管理や健康管理、ましてや自分へのおすすめまで表示をしてくれる。
エッチな画像も見せてくれて、ゲームもできて、世界と繋がって、子どもの相手までしてくれて、寂しさまで紛らわせてくれる。
もはやなんでもありです。
授業が面白くないからってノートの片隅に漫画書いたじゃないすか。
消しゴムのカスでやたら大きなボール見たいの作って前の席の友達とか先生に当てて怒られたじゃないすか。
で、どんどんと学校の中での禁止事項は広がっていった。

「消しゴムのカスでボールを作っちゃいけません」ってルールなんですか笑

今、考えるとネタになることばかりだからそれはそれで良いんだけれど。
仮に禁止に近いものを考えるとしたら、スマホよりももっと面白いことをすれば良いだけ。
授業い集中して欲しければ授業を面白くするの一択ですよ。

当時は全く、面白くなかった歴史の授業はオリエンタルラジオの中田さんのYouTube大学で見ると歴史が一気に好きになるじゃないすか。
脳科学なんて難しそうって思うけど、茂木健一郎さんとか中野信子さんとかの話は朝まで聞いていたいって思うじゃないすか。

あの手の授業ができれば、スマホとかいらない。
♯全員スマホの中でしか見たことないけど
♯小さいことは置いておいてください。

これだけ日常に溶け込みすぎているのだから、これを「禁止」することは相当に限界。

もはや軍隊とか族世界とかけ離れた山奥の修行寺とかじゃないと厳しいです。

全人口の8割がスマホを持つ時代なんて言われているから、それダメですよなんて軽々しく言えない。
レンジとかクーラーとかの電化製品よりもスマホ持っている人のほうが多いんじゃないかって思う。

そうなるとやはり「共存」していくことを考えていかないと、先生たちはいらないところにコストをかけていかなければならない。

教育の現場で禁止事項をどんんだけ作るかをほとんどを使っていかなければならなくなる。
これでは本末転倒。だとすればやはり「共存」で考えていくことが必要で、そうなると教育について建設的な話のために時間を使っていくので精神衛生上も良いと思う。

自分も一人の親としてこのことに関しては向き合っていかなければいけないし、日本のことも、子どものことも大好きだから真剣に向き合っっていきます。

ではまた。

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