エッセイ「モト冬樹の泣き顔」
中学三年生の頃である。
卒業写真の個人撮影の日に、クラスメイトの不良っぽい男子生徒がいざカメラマンを前にしてもくすりとも笑わない。「お願い!ちょっとだけでいいから口角を(><;)」とカメラマンが指示したり、彼の友達も当時の流行りのギャクや変顔をしたり笑かそうとしていたが、頑なに笑わないように耐えていた。
私もその笑かしに参加したくなり、不意の隙にボソっと「モト冬樹の泣き顔…」と言ったら、なんと彼は笑ったのだ。破顔キターーーーーー。
私も嬉しかった。他者が自分の行いで笑ってくれたことが率直に嬉しかった。
人間には他人の喜んだ顔を見ると、自らも嬉しくなる認知機能が組み込まれていると思う。確か名称もついていなかったっけ。忘れてしまった。
人に喜んでもらいたいという気持ちについて、時々「これって支配欲か?」と考えてしまうこともある。そうじゃないと信じたい。
もっとピュアな部分からそれが生じていると思っていたい。
働くことはもちろん、十中八九自分が食べて生きていくためにある。それを前提に残りの1割は「他人の(笑顔の)ためにやっている」って就活の時のあのセリフ、あながちウソじゃないかも。
モト冬樹さんありがとう。
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