ぼくとラジオとぼく
ぼくも含めてラジオ離れは進んでいると思う。というか、ラジオは今よりもっともっと身近でいつも一緒に居たものだった。
ぼくのラジオ生活は小学校低学年の頃に始まった。ガジェット好きだったぼくはある日当時隆盛を極めていたSONYと言うブランドに気づき夢中になった。そしてなんでもいいからSONYのプロダクトを手に入れたくなった。 手に入れたいと思ったらすぐに手に入れたい性質のぼくはお小遣いかお年玉を握りしめ、ウチの近所のトミザワ電気に行き、手持ちのお金ですぐに買うことができたSONYのポータブルのトランジスタラジオを買ってほくほくした。大きさは今で言えば携帯電話よりも厚ぼったいくらい。手触りは梨地でざらざらしていた。部分的にヘアラインのステンレスのパネルが嵌っていて、そのパネルの真ん中にダイアモンドのようにキラキラした窓がありその中に周波数の数字が精緻に並んでいた。
初めての家電体験、初めてのSONY体験、初めての耐久消費財購入体験をやり遂げたぼく気持ちは踊り立った。
家に帰ってからしばらくは外箱をなで回し、中身を出しても緩衝剤の発泡スチロールの造形に感嘆し、本体には乾電池も入れずスイッチのカチカチとした感触を楽しんだり、チューニングの回転つまみを回した時のつまみの動きと窓の中の数字の動きが微妙にズレていることを眺めて不思議がったりした。
読める範囲で説明書も読み終わり少々熱が冷めかけた時にようやくこの小箱がポータブルラジオであることを思い出した。緩衝剤の発泡スチロールの外側の凹みにはビニール袋に包まれた赤と白の単三乾電池が二本はまっていて、それを子供には開けるのが硬い小箱の背面にある電池蓋をこじ開けて挿入し、すでに何度も練習を積んだスイッチつまみをスライドさせるとその小箱はサーというノイズを上げはじめた。はじめぼくはそのサーと言う音でじゅうぶん満足した。スイッチを切っては点け、消す時にラジオが発するブツという小さな音も好きになった。スイッチボタンだけでしばらく遊ぶと、つぎはボリュームつまみで音量を調整した。ひとしきり音量の大小で遊ぶと僕は自分があまり大きな音が好きではないと言うことを悟った。
帰宅してからチューニングつまみに触れるまでは実はそれほど時間はかかっていないと思う。
サーと言うノイズの彼方にある音楽なのか人の声なのかがだんだんと鮮明になって来て、遂に鮮明に聞こえ始める時の感動、それを自分の指先が支配しているという喜びは今でも忘れない。
それでも小箱から聞こえてくる音声は(たぶんそれは夕方のニュースの時間だったせいもあると思うが)あまり自分に関係があるものとは思えなかった。大人のために流れている情報を子供が盗み聞きしていると言えばわかりやすいだろうか。
その日の夜、それまでは母親に言われるまで寝床に就くことは無かったぼくは初めて自分から寝室へ向かった。布団に潜り込むと耳元に小箱を握りしめ、スイッチつまみをスライドさせると当てずっぽうにチューニングを選曲をした。先ほどと同じようにノイズの彼方から鮮明になり迫ってくる音声に胸を躍らせる。違いは夕方に聴いた時よりも自分でもわかるような音声が多いような気がしたことだ。若い人向けの番組が多い時間になったからなのだが、そんな事情も小学生のぼくはまだ知らない。そしてその時に初めて聴きはじめた番組をその後数年間ぼくは愛聴することになる。