vol.85モラハラ夫編【不幸の手紙】我慢発うつ病行き〜回想録のような備忘録〜
小説(フィクション)⤵️
👓電話
神戸、西宮の不動産がヤクザ絡みのトラブルに巻き込まれ、夫Hの両親宛ての電話が、我が家にかかってくるようになりました
トラブルの内容も知らなければ義両親の居所も知らないので、何を訊かれても答えようがありません
どこの誰とも知らない相手に電話番号を知られていることに恐怖を感じました
県外に転居していたことと本当に知らないということで、それ以上には巻き込まれずに済みました
👓不幸の手紙
H宛てに差出人のない封書が郵送されてきました
仕事から帰って来たHは開封して読むと「読んでみて」と私に渡してきました
「H宛ての私信だし、差出人の名前がないなんて気味が悪い」と断りましたが「いいから」と押し付けられました
連絡がつかなくなっていた義母からでした
「Hには家庭教師をつけてあげましたよね
お父さんの車を借りて事故を起こしたときには、お父さんが後始末をしてあげましたよね(交際する前なので知らない)
結婚を許して助けてあげましたよね
家賃はもらいませんでしたよね
水道代も払わなくなりましたよね
(H親子が取り決めたので内容は知らない)
今度はHがお父さんを助ける番ですよ」
お金を出して義両親を助けるようにという内容でした
義父は手紙の内容を知っているのでしょうか
「困っているから助けて欲しい」とストレートに書いてこない義母に気持ち悪さを感じました
👓姿現す
不動産トラブルがどう決着したのかは知りません
巻き込まれないようにと何も知らされませんでしたから
もしかしたらHは知っていたのかもわかりませんが
義両親にはまるで何事もなかったかのように連絡がつくようになりました
堺市の義姉宅から県外、西宮市内の高齢者優先賃貸住宅へと移り住み、被災者向け復興住宅へと落ち着いたようです
Hがお金を都合したのかどうかは知りません
確かめようにも「俺の親なんだぞ」と言われるのが関の山
どちらが大事かということではなく、私はHの妻で子ども達はHの子どもです
Hの家族であることは間違いない筈です
👓退職
Hは阪神大震災の少し前から勤めていた会社を辞めて、義父と二人で仕事を始めると言い出しました
いつも突然でいつも私は蚊帳の外です
何も世の中がこんなに不安定なときに辞めなくても…
一度も外で働いたことがない高齢の義父と経済観念の緩いHが、定収入を捨ててまで独立する必要があるのでしょうか
震災後にはあれこれと便宜を図ってくれた会社です
せめて恩返しをしてからでも遅くはないのではないでしょうか
Hには「俺がしようとすると、いつも麻子(仮名。私のこと)が反対する」とうるさがられました
👓簿記
「簿記2級•1級資格を取る」とHが言い出しました
時間もあることだし経理に役立つなら良いことだと思いました
ついでに経済観念も育ててもらいたいくらい
ただ何事につけてもHがやり遂げた姿を見たことがないのです
できないのを誰かのせいにしたり何かのせいにしたり、経歴を偽ったりした過去ならあります
例えば交際を始めた頃、Hは大学生だと言っていました
通信制の短大生だと私が知ったのは、短大卒業式の当日です
このときの言い訳はさすがに忘れてしまいましたが、結婚後に訊いたら「又そんな古いことを持ち出して」と言われて終わってしまいました
簿記の講座にいくら払ったのかは知りませんが、結局1級どころか2級すら取得しないで放り出してしまいました
👓就職
家業と取り引きのあった会社が「修行に来ないか」とHに声をかけてくれました
Hの他人受けの良さは抜群です
前の会社を辞めて父子で仕事をすると言った舌の根も乾かないうちに、いとも簡単に就職しました
義父の年齢(晩婚なので高齢)や性格(大人しくて押しが弱い)を考えても父子で一から仕事をするには無理がありました
ワンマン社長の同属会社ですが、月給と社会保険と厚生年金があるのは助かります
就職してからは出張に継ぐ出張の毎日になりました
多い年は365日中320日程度不在でした
👓出張
他人受けの良いHですから、あちらに良い顔こちらに良い顔をして良い人オーラを振り撒きます
雇われているとはいえ、出張先での一人仕事はHにぴったりでした
相変わらず家庭は顧みません
子どもが3人おり成長してくると、日々何かと起きるものです
相談したくても頼りたくても決めなくてはならないことがあってもこちらから連絡をしても返事はありません
どうせ返事がないのなら出張先で嫌なニュースは聞きたくないだろうと、毎朝留守電には良いニュースだけを入れるようにしました
👓留守宅
最初は寂しく感じましたが何年も経つうちには当たり前になり、Hが居ない方が楽だと感じるようになりました
たまの帰宅時にHが子どもと距離を感じるようでは気の毒です
「お父さんが働いてくれているから」「お父さんのお給料で買ってもらったのよ」と子ども達には常々伝えていました
当時は定期的に生活費を入金してくれていたので、全くの嘘ではありません
👓外食
初めのうちはHの帰宅を心待ちにしていましたし、お土産をもらうこともありました
久しぶりに、家族揃って外で食事をすることになり「どこがいいか決めてくれ」とHから言われました
3人の子ども達とあれが食べたい、あそこへ行ってみたいと悩みながら3店舗に絞りました
紙に書いてHに見せると、暫く考えて「○○○に行こう」と書いていない店の名前を言いました
子ども達の機嫌が悪くなったのは言うまでもありません
他人の機嫌をとるのは上手ですが、身内の機嫌は取らなくても構わないと思っている節がHにはあります
子ども達が「もうお父さんとは行きたくない」と言い出したのも当然です
👓TDL
次に帰って来たらディズニーランドに行こうとHが言い出しました
他のテーマパークには何回か行きましたが、距離的、経済的なこともありTDLには躊躇していました
「大丈夫なの?5人で行ったら何十万もかかるよ」と訊いても「大丈夫、任せとけ」と気の良い返事
Hは言うだけで計画は立てませんから、2才児の次男が居ても無理のないタイムスケジュールを考えました
Hがこの会社に勤めている間にTDLには2回、どちらも2泊で行きました
予定以上の散財になっても「大丈夫」と言うHに、少しは経済的な余裕ができたのかと安堵したものです
後に大きな勘違いだったことが露見するのですが
👓夏休み
「夏休みは何処かに行こう」と言ってHは出張に出かけました
帰宅したHから「何処に行くの?」と訊かれ「えっ?」と聞き返すと「旅行に行くって言っただろう、考えてくれてないのか」と真顔で詰られました
いつ頃とも何日間ともどの方面とも何を目的にとも、何も聞いていません
たまにしか居ない自宅での時間を機嫌悪く過ごされては敵わないません
当時は未だネット検索ができませんでしたから慌てて図書館でガイドブックを借りて来て、行き先をピックアップしました
予約電話を片っ端からかけては断られ…の繰り返しです
旅行準備も私の役目です
そう言えば「出張の準備は自分でして下さい」と言って逆上されたこともありました
仕方なく着替えを詰めていたら、カバンの内ポケットにコンドームが入っているのを見つけてしまい悲しくなりました
👓キャンプ
Hにキャンプブームが訪れました
出張から帰宅する度にグッズを買い集めます
家族の意向は関係ありません
俺が俺の金で俺の好きな物を買って俺の好きなことをするのに、何故家族の意見を訊く必要があるのかという理屈です
Hが自由に働けるのは、Hの代わりに家庭を守ったり子どもを育てたり家事をしている人間が居るからなのです
「料理や家事なんか、やろうと思えばいつでもできる」がHの口癖です
裏返すと「やろうと思わないから一向にできないまま」ということです
暑いのも虫もアウトドアも嫌いな長女はキャンプどころか、大人になった今も旅行自体が嫌いです
子ども時代のトラウマでしょうか
そんな長女に魔の手が襲いかかってきました
vol.86につづく
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