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⭐️坊主憎くても袈裟は別 1053


痘痕あばたえくぼ」なんて言うけれど、アバタはエクボなんかじゃない。
共感を呼ばないところを好きになったとしたら、「汚点かもしれないけど好き」か「汚点だと解っていても好き」のどちらかで、汚点こそが美点だというわけじゃない。
「そのアバタが好き」ってことだと思う。
個人の感想です。


基本的に「それはそれ、これはこれ」「物に罪はない」というスタンスだけど、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに、別れた相手からのプレゼントを処分する気持ちは解らなくもない。
H(元夫)が出て行くとき、「気配を感じるものは何ひとつ残して行かないで」と思った覚えがあるから。
エクボだと思ってたこともあったはずなんだけど。


先日、遂にと言うかようやくと言うか、でもかなり唐突に由美(仮名、長女)が自宅を出た。
由美の病歴や私との関係性を思い返すといろいろあったけど、私にとってはどれもエクボ。
彼女と出会えた奇跡を想うとき、Hとの出会いも必然だったと納得できる。


由美にとっての私は憎い坊主。
私には憎まれている原因が解らないから対処したくてもできない。
由美は「母とは接点ゼロ」を希望してるから、たとえ対処したとしても受け入れる気はないだろうけど。


由美は徹底的に「アナタを無視してます」という「姿勢」を貫いてる。
「徹底的に無視する」とは違う。
「こんなことされたら嫌だろう」と解ってやっている気がする。
本人は嫌がるだろうけど、そういうところはHによく似てると思う。



由美は運転免許を持ってない。
引越し作業は緩々ダラダラと続いている(一気じゃない)。
仕事帰りやら朝やら昼やら、日によって時間帯は違うけれどほぼ毎日やって来る(顔を見られるのは嬉しい)。
どデカいサイズの紙袋やバッグに詰めた荷物を両手と両肩に、「重い」「しんどい」と言いながら新居との間を往復してる(なぜ?)。


ガチャリと鍵の開く音がすれば「(望まれてないけど)おかえり〜」と迎え、持ちにくそうにしていれば「(望まれてないけど)紐をかけた方が持ちやすいんじゃない?」などとお節介をやき、出て行くときは「(望まれてないけど)いってらっしゃい、気をつけてね」と見送る。
もちろん由美は応えない。
私の自己満足。


幼い頃、子ども達に言い聞かせた5つのこと。
「挨拶」「返事」「ありがとう」「ごめんなさい」「お願いします」を言うこと。
外ではできてるのだろうけど(当たり前だ)、大人になった由美は私に言わない。
簡単なことほど難しい。
親しき仲ほど難しい。
寧ろ赤の他人だと割り切って接してくれれば良いのにと思う。


今のところ、グッドタイミングなことに私が在宅している時間帯に来ている。
由美にしたらバッドタイミングだろうけど。
今日は2回来た。
荷物を搬出するためとはいえ、毎日のように戻ってくるのが不思議。
だって憎い坊主がいるって分かってるんだよ?
憎い坊主がいる家って、憎い坊主の袈裟みたいなものなんじゃないの?
いや、寺か。


もし私が由美の性格で由美の立場なら、多少費用がかかったとしても業者にトラックで運んでもらう。
一気に運んだら、もう自宅には寄り付かない。
もし運び出しそびれたものがあったら、涙を飲んで諦めようとする。
にっくき坊主の顔は極力見ないようにする。
袈裟にも関わりたくない。


実際の私は良きにつけ悪しきにつけ由美ほど頑なではない(と思う、多分)から、問答無用で相手の言い分を聞かないとか実力行使するとかはしない(できない)。
だって自分がされたら嫌なんだもの。
もし私が家を出る方なら、後腐れのないように言葉を尽くすわ。


荷物は未だ残ってる。
きっとまた由美は黙ってやって来る。
きっと私は何食わぬ顔で「おかえり〜」と言う。
黙って荷物を持って出て行くときには、これが最後ではありませんようにと祈る気持ちで「行ってらっしゃい、気をつけてね」と見送る。


そりゃあね、口には出さないけれど「人としてどうなの?」と思うよ。
それでも、嫌われてると知っていても、一言も喋らなくても、憎まれ坊主は由美に会えるのが嬉しいと思ってしまう。


いずれ荷物はなくなる。
いずれ由美は来なくなる。
おかえりも行ってらっしゃいも言えなくなる。
いつしかそれに慣れる日がくる。
           (2/22)







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ちゃりれれ【時々ジャイアン】
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