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私とこれからの青い時間へ
この投稿は「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くという企画。詳細はこちらから。
https://note.com/st_of_covid/n/n0679246dce88
「先生、だってね、うちらやっとなんだよ!」
この春入学したばかりの生徒が言う。
キャイキャイはしゃぎながら、女子も男子も入り混じって教室に置かれた連絡掲示用のホワイトボードに次の席替えまであと何日なんて記入している。
掃除が終わっても、いつまでも帰宅しないので声をかけたら、コロナ禍から脱しようとする初めての学生生活が楽しくて仕方ないといった声が返ってきた。
いまのわたし
私はこの春、高校の教員になった。
教員1年生、毎日エネルギー有り余る10代と向き合い、アフターコロナの揺り戻しの渦中にある現場でクタクタだ。
そんな私とお揃いの、ピカピカ1年生たち。
この春、高校に入学した子ども達は小学校の卒業式が中止、もしくは縮小になった世代だ。2020年2月、卒業まであと少しだねなんて言って、寂しさと中学へのわくわくした気持ちが混ざり合っていたとき「明日から学校はありません」と告げられた彼ら。
中学の授業がスタートしたのは6月。やっと出会えたクラスメイトはマスク姿で
今か今かと袖を通す日を待ち侘びていた制服も、毎日洗えないのは衛生的に良くないからとジャージ登校に。
彼らは別れの虚しさを知っている。
日常はどこまでも続く平坦な道ではない。予想もしていなかった時に突然、大きな力によって奪われることもある。
抗議の声をあげたって、我慢ばかり覚えさせられた。
そんな彼らが新生活を、1日1日を大切にしようと生きている。
そんな彼らを見ていると、かわいく思うと同時に、どうしても私の、私たちのこの3年間を考えてしまう。
わたしの大学時代
そもそも私の経歴から行こう。
私は2018年に大学入学。この5月で解散するキラキラ王道アイドルグループが歌うデビュー曲を街中でよく耳にした。
あの年、2020年1月には成人式をした。前撮りと髪型を変えたくて髪を切った。人生初ショート。
地元の仲間たちに好評で、ルンルンだった私の耳には中国が大変らしいというニュースは右から左だった。
そして2月後半、3年生で就活やらゼミやら忙しくなる前に遊ぼう!と友人たちと呑気にサイパン旅行に行った。国内外に溢れかえっていた中国人観光客の姿はなく、彼ら向けに設置されたのであろう中国語表記の看板が南の風に吹かれていた。
たっぷり遊んで成田に降り立った時の物々しい雰囲気、繰り返し流れる全国一斉臨時休業のニュースをよく覚えている。
あの時 ー2020年3月
なんとなく教職課程を履修していた学生の私でも、相当大変なことが起こっているな、と感じられた。何かできることは無いか、と考えていたとき当時、インターン生として活動していた教育系NPO法人で立ち上がった新企画に誘っていただいた。
今ではお馴染みのオンラインミーティングアプリZOOMを使って、全国の子ども達とつないでお喋りをしたり、自習を手伝ったり、オンライン講座の運営をした。
私も子どもたちの暇つぶしになれば、と思い大学で専攻していたスペイン語を教える講座を何度か持たせてもらった。
あ、教えるってことは、自分の好きなことを伝えて、楽しんでもらうってことなのか、面白いなと思った瞬間だった。
子どもたちの学びをとめるな、と必死になる大人たちの姿がかっこよくて、行政でも、企業でもないNPOの強みとはここにあるのだなと思った。私も少しでも役に立ちたい、と活動させていただいたことは貴重な経験だった。
そんな日々に熱中しているうちに、いつのまにか髪は伸び切って、ポニーテールにした毛先が揺れていた。
ひとつの夢を諦めた、諦めさせられた
今の職に至る大きな転換点を迎えていたあの当時、裏では計画していた留学が延期になり、この先どうなるのかと私の心は不安に駆られていた。
(その不安を埋めようと活動にのめり込んでいたとも言える。)
私はある団体の返済不要の奨学生に採択され、そこからのバックアップを受けてスペインに留学する計画を立てていた。
しかし、その奨学金には渡航危険レベルが高い地域には派遣できないという条件があった。毎日、外務省のサイトで真っ赤に染まった世界地図を眺めていた。
周りには大学を休学し、自費留学に旅立つ人もいた。
「ホントに留学したいなら行けばいいじゃん、状況変わるの待ってるだけなんて気持ちがないだけなんじゃない?」と親に支援を受けて旅立った人に言われたこともあった。
お金が全くないわけではなかった。しかし、母子家庭で育ち、バイト代と某機構の奨学金(という名の借金)を借りて、やっと大学費用を賄っている私には、語学留学として満足いく期間の費用をすべて自分で出すことはできなかった。
だからこそ返済不要の留学奨学金は魅力的で、なにがなんでも利用したかった。でも渡航許可はコロナ禍の状況下では下りない。
行けないかも、でも、でも次の春にはこの状況だって収まっているかも。今ここで辞退したら、再申請はできない。でも、収まっていなかったら……?
ぐるぐるとまわる思考を振り払うように、大学の授業、インターンシップ、スペイン語の勉強、アルバイトと予定を詰め込んだ。
次の春も渡航許可は下りなかった。
コロナ禍と生きたということ
結果、留学にも行けず、留学に行くかもしれないからと申し込めなかった教育実習にも行けず
(※基本的に教育実習は、前年度の4月頃までに申し込み、面接が必須。)
1年大学生活がダブったフリーターの爆誕。どこにも行けない私が、ただそこにいた。
どこにぶつけたらいいかわからない気持ちを抱えて、生きた。しばらくは放心状態だった。
それでも生活は、時間は、進む。進んで、いまここにいる。
ご縁あって、いろんな人といろんなことをやった。(それはまた気が向いたら書きたい。)
大学入学時には思ってもみなかった職業選択をした。毎日自分が好きなことばを通して、生徒と向き合い楽しい時間を共有している。
私の大学生活とは、人生のいろんな可能性を模索する時期だったと思う。
そこに、コロナ禍という枷がなかったら……と思わないこともない。
ここには書ききれないほどの出来事や感情のアップダウンがあった。暗い帰り道にそのまま吸い込まれてしまいたい日もあった。オンラインという手法の面白さに知的好奇心を刺激され、時代が動いた瞬間に立ち会えている喜びを感じる日もあった。コロナ禍によって諦めたことと、叶えた、若しくは得たことの数々。比べたら、どうなるんだろうか。
ただ、以前どこかで耳にしたある劇作家のことばを借りるなら、抑圧と葛藤の中にドラマは生まれるのだと言う。
口を覆われて、でもその分、さまざまな人や経験に巡りあって、さまざまな感情に揺さぶられた心と身体が生きた3年間だった。
そして、これから
いま、私の目には、はじまったばかりの青い時を生きる生徒たちが映っている。
つぎの席替えまであと何日。
クラス替えまであと何日。
卒業まであと何日。
いや、ちょっとそのカウントは早いんじゃないかい。突っ込もうと思ったが、やめた。
だって、彼らがまっすぐな瞳で楽しそうにしているから。
彼らは今日も律儀に毎日ホワイトボードを書き換えている。
いつまで続くかなあとも思うが、見守りたい。
私は彼らの、そして次の彼らも、その次も一度しか巡ってこない青い時間を見守る人になりたい。
過ぎ去って、もう戻らない私の、2020年2月から2023年3月の間に青い時間を過ごした私たちのあの日々を想いながら。
追記
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。
また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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