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"十分"と書いて"じゅうぶん"と読むこと

私は手紙、メール、LINE、Twitter、つまりは文字交換ルーツにおいて、数量的に満たされているという意味で用いられる"十分"を使いたくないのだ。

すでに理由はお分かりだろう。

"十分"は"10"という時間の意味もあるからだ。
平仮名でも"じゅうぶん"と"じゅっぷん"("じっぷん"と読む強者もいる)で僅な差しかない。勿論、平仮名を使うわけにはいかない。偏差値の低い馬鹿と思われてしまう。
それならば、"充分"を使えば良いのでは!?と考えたこともあるが、ご存じそれぞれの意味合いは違う。

数量的に満たされている"十分"
精神的に満たされている"充分"

つまり数量的に満たされているときに用いる"十分"が厄介なのである。

そもそも・・・文脈でわかるだろ!

と、罵ってくる人の意見は理解できる。
おっしゃる通り、文脈でわかる。

例文
・熱中症対策に水を十分飲んだ。

これは勿論、水をたくさん飲んだということだ。
水を10分間も飲み続けた人の話ではない。

では、この文章はどうだろう。

例文
・僕は十分、仮眠した。

この場合・・・

〈10分間、仮眠した人〉
〈満足する仮眠ができた人〉

2種類の解読が可能だ。
しかし、このような場合、がさつな人物でない限り、必ず文章にテコを入れる。

・僕は10分、仮眠した。(数字にする)
・僕は十分に仮眠した。("に"を足す)

これによりそれぞれの文章は1つの意味しか持たない。誤解も生じない。
ここで改めて、私が大前提としているのは文字交換ルーツで"十分"を使いたくないということだ。会話において、この誤解は生じない。生じた場合はそいつの滑舌のせいである。

ここまで述べてきたことを要約すると・・・

文字交換ルーツにおいて"十分"を使おうが、送り主の気遣いと読み手の解読力があれば、全く問題はない!ということである。

では、私は"十分"を何故嫌うのか。
それは・・・

気になるのだ。

それだけのことだ。嫌なのです。気になるのです。

例えば、友達とお鍋をすることになった時、自分が買い出しに行った時に友達にLINEをすると・・・

自分 : お肉500グラムと野菜はたくさん買った! 食材足りるかな? 個人的には十分だと思う!

友達 : 買い出しありがとう! え? 10分で食べ切れちゃう量? それだったら少なくない?

自分 : いやいや、十分は10分じゃなくて、たくさんってこと! もう!

友達 : え? 10分は、勿論、10分だよ! 漢字にしたからって時間は変わらないだろ! なんだよ! たくさんって! おれに対して、もうたくさんだ!って言ってるのか!? もう・・・絶交だ!

こうなる可能性だって、なきにしもあらずである。

結論!
"十分"を使用する際は十二分に注意すること!

あっ…"十二分"・・・これまた使いたくない言葉である…