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Chara「命のまつり」その45~命はどこからやってくるか
1回目の体外受精で命を授かることはできなかった。
その後、医療観察法病棟の仕事を続けながら患者さんの社会復帰に向けて
一緒にアパートを探したり、地域の断酒会に参加したり、治療の進捗を裁判所に報告する書類を多職種で作成したり、なんやかんやしているうちに
あっという間に時間は過ぎていった。
しばらくして再び治療を再開した時、もう40歳になっていた。
2回目の体外受精のための採卵に向けての検査で、
医師より「卵があんまり育ってないんだよね・・・・」
えっ、もう私の体が命を宿すことができないの?と悲しい気持ちになった。
それでも、あきらめたくなかった。
やるだけのことはしたいと伝え治療を続けた。
なんとか採卵にこぎつけたが、採れた卵子はたったの1個だった。
私は祈った
たった1個の卵子、私の命を受け継ぐもの
当時はしらなかったが、亡くなられた村上和雄先生の「人智を超えた偉大なるもの」、「生命の神秘をつかさどる存在」、サムシング・グレートに祈っていたのかもしれない。
ちょっと、村上先生の「サムシング・グレート」について
サムシング・グレートとは、神や仏や天などと呼ばれるような人間の世界をはるかに超えた偉大な存在です。私たち人間は一人につき37兆個も細胞を持っています。さらに、ヒトの遺伝子暗号は、約32億の科学の文字で書かれています。これは本にすると、1ページ1,000字で、1,000ページある大百科事典にして、計3,200冊分にもなります。そんな遺伝子暗号を書いたのは誰なのでしょうか。その正体を、アインシュタインは「宇宙の真理」といい、マザー・テレサは「サムシング・ビューティフル(美しい何ものか)」と呼びました。それを村上先生は「偉大なる何ものか」という意味で、「サムシング・グレート」と名づけられたそうです。
そして、受精卵は無事に育ち子宮にもどすことができた。
あとは、着床を待つのみ。
後にも先にも、もう卵子が採れない体だし
なんか、やるだけのはことはやった気持ちになっていた。
肩の力が抜けたというか、そんな日々を過ごしていた。
そして、半ばあきらめの気持ちで診察を受けに行った。
夜勤明けで、少しだるさもあった。
血液検査と尿検査をうけた結果は、妊娠の判定だった。
ただ、ただ驚いた。
40年間、私と一緒に人生を過ごしてきたたった1個の卵子
の奇跡に感謝した。
そして、無事に胎嚢と胎児心拍が確認できたのだった。
命をありがとう