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Chara「命のまつり」その48~母乳育児は嘆きと喜びの日々
無事に6時間40分くらいで娘を出産し、それから母乳育児が始まった。
これまた、自然に赤ちゃんが吸えば出るもんだと気楽に考えていた私
娘が吸えども、出ている感じがない。
娘もすぐちゅぱちゅぱをやめちゃうし・・・・・
助産師さんが乳房マッサージを軽くしてくれたけど・・・
ああぁぁ~、42歳だしもう乳管がつまっちゃったのかなぁ~
もっとケアしとけばよかったのかな・・・・
病院では授乳毎に赤ちゃんの体重が母乳の前後でどれだけ増えたか計測して、増えてなければミルクを哺乳瓶で飲ませるという流れだった。
ショック、入院の数日間はほとんどミルクで娘は育っていた。
高齢でも母乳で育てたい、人間らしく、昔から人がそうやってきたように
育てたい一心だった。
退院後、母は「出ないもんは仕方ない、ミルクを飲ませて栄養をあげなきゃ」と心配してしきりに言っていた。
注)普通の値段で新しい本がでています。
出産の3か月前に、買った本を思いだした。
桶谷式の母乳育児相談室が全国にあるらしい。
でも、こんな山陰の人口5万人もいないような田舎にあるかなぁ~
調べると、なんと1件あった。
藁をもすがる思いで、電話をし予約をとった。
高齢でも、昔の人がしてきたように、母乳で育てたかった。
おばあちゃんのように、たくさんおっぱいを吸われてびろ~んってなって
もいいんだよぉ~という気持ちだった。
相談室は桶谷式母乳マッサージの資格のある助産師さんがされていた。
高齢だけど母乳で育てたいという思いを伝えると、早速マッサージをしてくれた。
すると、ぴゅー、ぴゅーって母乳が飛び出してきた!!
なんだろう、この感覚、乳首の先がきゅーぅと感じたと思ったら
薄黄白色の母乳がでたのだった。
つまっていた乳管が開通した瞬間だった。
助産師さんが「大丈夫よ」と言ってくれた。
そして、すぐに授乳するよう娘をだっこさせてくれた。
娘が、初めてちゅぱちゅぱして、ごくごく飲む姿に
ただただ、感動した瞬間だった。
母は母乳で無事育てられるのか心配そうで、ミルクを飲ませればと何度も言ってきた。そのたびに、気分が落ち込んでナーバスになった。
実家にいる間に2回ほど母乳マッサージを受け、そのたびに
「大丈夫よ、赤ちゃんも吸わせるうちに上手になるし、スポーツもやるうちに上達するでしょ、母乳育児は体育会系なのよ」というお言葉を信じて続けた。
そして、いつの間にか1か月近くが過ぎ、実家から東京にもどった。
数年して、風の便りであの助産師さんがご逝去されたことを知った。
あの時、あの方と出会わなければ私の母乳で育てたいという願いは実現しなかったと思う。本当に、有り難い気持ちで一杯だった。
ちょっと母乳についてのメモ
母乳は母親の血液から作られる。母乳の分泌を促進させるのは、プロラクチンとオキシトシンというホルモンが深く関わっている。
このプロラクチンとオキシトシンは、赤ちゃんにおっぱいを吸ってもらい、飲んでもらうことによって多く分泌される。
赤ちゃんにおっぱいを吸ってもらう回数が増えると、これらのホルモンの分泌も自然と多くなり、母乳も出るようになる。
そうか、オキシトシン大事。
母乳で育てたい一心だった私
思うように母乳がでずに情けない気持ちになった私
両親からのプレッシャーを感じていた私
2年前からしているハートの瞑想を当時知っていたら、幸せホルモンであるオキシトシンの分泌が高まり、心にもスペースができたかもしれない。
母乳育児だけでなく育児全般で心のスペースがちっちゃくなっている人にも知って欲しいハートの瞑想。
この記事を書きながら、コネクションプラクティスの可能性を感じた今日でした。