20241227/曲
今日で仕事納め。
今年もご愛顧いただきありがとうございました。
🎧JAM/THE YELLOW MONKEY(1996年)
この曲について書くかどうか、結構悩んだ。
悩んだというか、書き始めては手(指)を止めて、うまく言葉にできず一度消して、他の曲にするかとも思ったけど.…。
やっぱりこの曲を今年の締めにしたいので、頑張って書くことにする。長文だけどご容赦ください。
個人的な思い入れが強すぎるのと、この曲が持つ圧倒的な力に押されそうになる。あー苦しい!
THE YELLOW MONKEY(イエモン)の5枚目シングル。累計売上60万枚のロングヒット作品。
この曲を聴くと、主人公である「僕」に憑依される。いつの間にか背中にへばりついていて、気持ちが直接流れ込んでくるような感触。
「僕」はどんな状態で何を思っているのかに加えて、なぜそこまで没入できるのか、これらを今一度考えてみることにする。
「外は冷たい風 街は矛盾の雨」「時代は裏切りも悲しみも 全てを僕にくれる」
「冷たい風」は事実だとしても、雨を「矛盾の雨」と表現しているところで「僕」のもやもやした心の状態がよく伝わってくる。
加えて、時代がくれるものの中で例に出しているのは「裏切り」と「悲しみ」。
世界でたった1人だけ自分だけが起きている気がする、明けるとわかっていても不安になる、明けないで欲しい気もする、恐らく「僕」はそんな夜にいる。
そんな風に始まって、鬱屈とした苦しい気持ちを抱えてサビを越えると、少しだけ前向きな心も持ち合わせていることに気付く。
「素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う」
自分で自分を慰めることはどうやらできるらしい。
そのまま2番まで聴き進めると、やけに眩しくて美しいうっとりするような気持ちへと切り替わる。
「キラキラと輝く大地で 君と抱き合いたい」「この世界に真っ赤なジャムを塗って食べようとする奴がいても」
美しい大地で抱き合う2人。わかりやすく美しい光景だ。だけど何だか、リアリティのない薄っぺらな幸福にも感じられる。
地球に真っ赤なジャムを塗って食べようとしているところを思い浮かべる。青と緑と赤のコントラストが映えて、グロテスクだけれど美しいかもしれない。
そんなふうに、2番ではうすっぺらな綺麗事と目を背けたい現実(だけど見かけ上は綺麗なこともある)交互に見せてくる。
残念ながら、綺麗事も現実もどちらも存在するのがこの世界で、片方だけを見て生きていくことはできない。改めて、そう思い知らされる。
そしてクライマックス。
「あの偉い発明家も凶悪な犯罪者も みんな昔子供だってね」「外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに『乗客に日本人はいませんでした』」
客観的な疑いようのない事実のあとに、主観で捻じ曲がっているかもしれない事実を伝えられて、完全に私たちは「僕」になる。
誰しも全員に子供だったというのは紛れもない事実。大人の状態で生まれる人はいない。
でも、だからこそ「偉大な発明家」と「凶悪な犯罪者」、分岐点はどこだったんだろう? どうにか救うことはできなかったのだろうか? という引っ掛かり・やるせない気持ちが残る。
その後に続く、ニュースキャスターが「嬉しそうに」。実はこれは完全に主観である。本当に嬉しそうだったのかなんて誰もわからない。
しかし直前に客観的事実を配置されている上に、少しやるせない気持ちが残っているのもあって、主観があかたも事実かのように錯覚する。
「僕は何を思えばいいんだろう 僕は何を言えばいいんだろう」
ここまで聴くと、気付かないうちに「僕」の視点・気持ちになってしまっている。もしかすると、ニュースキャスターに対して怒りを覚える人もいるかもしれない。
「僕」は最後の最後、こう歌う(半ば叫んでいるようにも聞こえる)。
「こんな夜は逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて」「君に逢いたくて 君に逢いたくて」「また明日を待ってる」
世界や人を信じられなくて、もしかしたら希望も感じられていない「僕」がたったひとつ拠り所にしている、安心できる、あたたかい存在である「君」。
「君」がいるからこそ、どんな夜でも「僕」は安心して明日を待つことができる。
ここまできてようやく、人のあたたかさを感じられる。最後の最後でようやく!
『JAM』は「僕」が憑依する曲。
だからこそ苦しい気持ちにもなるし怒りも覚える。
だけどその分、人への愛おしさやあたたかさも濃く深く感じることができる。
こんな楽曲を、私は他に知らない。