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人間の欲望の底を見たという話と自分の現時点での恋愛観の記録(2023/3/30時点)

はじまり


それは、それは本当に悪寒がするような日でした。






ここ数日高校同期が京都に訪問することが多かったので、京都や大阪を観光する日々が続いていました。

自分は、友人が京都を訪れたときに備えて、あえて京都を観光していなかったので、一緒に行って楽しむことができました。


ある高校の同期が最終日に大阪に行こうとしていたので自分もついていきました。定番の梅田や心斎橋の方をまわり、最終目的地の天王寺の方に向かいました。

西成の方を見たことがなく、また見てみたかったので行ってみました。
カラオケ&居酒屋のお店がめっちゃくっちゃ(それは本当にめっちゃくっちゃ)ブワーっと並んでいてしかも昼過ぎぐらいから営業しているところを通り抜け、街並みを視察。

西成というと西成警察署が日本一厳重な警察署として有名なほど治安の悪いところです。

実際ホームレスらしき方は他の場所よりも多かったし、そういう方々が生活に困らないように自販機を始め、物価が非常に安かったです。



天王寺の新世界の方に戻り、晩御飯を食べたあと、友人は飛田新地の方に行くつもりだけど、流石に1人で行きたいからここで解散しよう、ということで解散。

このあと予定もなかったので、自分もせっかくだしと思い、飛田新地の方に軽く行ってみることにしました。


飛田新地についてご存知ない方もいるかもしれないので、軽く解説。
簡単にいうと飛田新地は遊郭(風俗街)のことを指します。

ススキノのように、他の業種の店舗と混じって風俗店がたくさんあるというものではなく、完全に風俗店しかないゾーンが結構な敷地をとって設けられているような感じです。

この飛田新地も100年以上の歴史があるそうです。


店構えはどれも同じでした。ドアなどはなく、入り口のところに若い女性と客引きの方(ほぼ40代ほどの女性)が座っており、通りすがりの男性に

「寄って行って」
「ちょっとこっちまで見においで」

というように声をかけていきます。もちろん若い女性はさまざまなコスプレをしており、過激な格好をしている人もたくさんいました。










正直、すごく気持ちが悪かった。



男性が女性を買う(不適切な表現なのはわかっているのですが、事実こう表現するしかないのです。)。

カントの人格主義である、

「人格は常に目的そのものとして絶対的な価値を持つものなのであり、単なる手段としてのみ扱ってはならない」

という考え方を大切にしている私にとって、この男性が性欲を満たすためにお金を払って性交渉するこの構造は、まさに女性をモノ同然として扱っており、我慢ができなかったのです。

しかも、歩いている周りの男性たちは、この異常な状況に対してなんとも思っておらず、のうのうとどの女の子がいいか鼻を伸ばして探している。

究極すぎるかもしれませんが、ここにいた男性方は95%己の性欲を満たすことしか考えていなかったと思います。



これは書こうか迷っていたのですが、もう2度とこの記事だけは見返すつもりがないので書いておきます。

本当に知らなかった、ということだけ最初に言っておきます。

僕の親友は結構風俗街を歩くのが好きだそうで、彼に飛田新地行ってみたけどこんな感じだったんだ〜って見せてあげたいなと思ったんです。だから写真と共にちょっとだけ通りの様子を動画に残しておこうと思い、スマホを取り出して動画を回してみたんです。

そしたら、客引きの奥様方がすごい形相で数人一気に駆け寄ってきて、「動画を消せ」「お兄さん、爽やかそうな顔してえぐいことするな」と言ってきたのです。

もちろん動画はすぐに完全に削除し、入り口の写真だけ親友に送ったあと写真も全て完全に削除しました。


すっごい怖かった。


こんなこともあったので、2度と遊郭は行かない、ましてや風俗店なんか入らないというふうに思いました。



本当に人間の性欲の底を見たような気がします。



自分は、おそらく人と比べると少ないような気がしています。かわいい人を見てなんとも思わないというわけではありませんが、てかむしろアイドルが好きなほどなので、心はうわつきますが、じゃあそういう人とそういうことをしたいかというと、そうじゃないんです。

この1年、大学で女性関係について結構ゴタゴタはありました笑
当人のためにも詳しく書くつもりはありませんが、自分のことをこの人は多分キープだとか、自己肯定感を上げるためのモノとしか見ていないんだろなというような印象を受けました。

僕は高校が男子校だったので、高校時代に女性との関わりはほとんどなく、女性のイメージというのは中学生時代で止まっていました。

大学に入って久しぶりに女性とまともに会話してみて驚いたよ。。。

「高校時代に何があったんだ、、、?」

大学に入って最初の1ヶ月で抱いた感想はこんな感じでした。明らかに、深くなっている(広義)。

元々中学のときにも女性とお付き合いしたことのない恋愛経験0の僕ちゃんは、入学当初は女性と仲良くなりたいと思い、結構話しかけていたけど、

なんか、面倒。。。

明らかに仲良くなるまでのプロセスが長くなっているような気がするのです。

なんというか、余計な駆け引きのようなものが多い。

彼女たち自身にとってはそれは恋愛ゲームを楽しんでいるかのように思っているのかもしれませんが、自分にとってはそれは気疲れするだけ。

正直私はもう恋愛に対して非常に疲れているのです。それはもう2度と立ち上がれないかもしれないというほどすごく。

別に今もサークルの女子たちと気軽に話をしてはいますが(っていうか最近僕の扱われ方が酷い気がする。完全にいじられキャラとして定着しちゃっているかも)、じゃあサークル以外も含めてそこからおつきあいに向かって駆け抜けていきたいかというとそうでもない。

そもそも、自分は1人の時間が結構好きなんです。

1人でゆっくりと本を読んだり、クソみたいな生活をしたり、ダーツで脳を溶かしに行ったり、1人で真夜中に料理をしたり(我ながら結構うまい料理を作ってる気がする✨)。

友達も少ないですが、数少ないからこそ大切にしています。
(友達はそんないらないよねっていう考え方はまた今度まとめようかな)

友達の家で麻雀をしたり、バイト先の先輩の家で映画館紹介をしたり、結構楽しい生活をしているんですよ?




でも、たまに自分1人でも、そして友達と一緒にいても満たされない感情があるんです。


なんかこう、無条件に自分がするようなことを欲してくれる、認めてくれるような存在。

そんな人がいないのはわかっています。でも、普段思っていることをいちいちコチャで言うようでは例えそうでなくてもウザがられているのではないかと言う心配に駆られてしまうんです。

居かけたときもありました。でも、その人は自分の恋愛したい感を奪い去ってしまうほど僕を絶望の淵まで叩き落としました。もうどうでもいいけど。勝手にしろ、俺には関係ない。ただ、これ以上俺に深く関わってくるな。って感じです笑


実際、その人と付き合うか?みたいな状態のとき(僕はそう思っていたけど、どうやら彼女はそうでなかったようです。側から見たらこれは確定演出らしいけど)、毎日のようにラインをしていたし、ラインを途切らせてはいけないと言うような雰囲気が暗黙の了解として立ち込めていました。

最初は良かったけど、暗黙の了解みたいになってきた頃から正直それは面倒に変わっていました。だって、常に彼女の返信を気にしてしまうし、自分もどうやって会話を繋げようか考えていないといけないからです。

また、自分の趣味や嗜好(ゲーム実況・aiko)が似通っていくことに対してなんだか自分がどんどん搾取されていくような感じがしてちょっと嫌だったし、音楽のプレイリストやSNSを共有していくたびに、なんだか自分の全てを監視されているかのような感じがして、嫌というよりかは怖さが優っていました。




そんな自分でも結婚は必要だと思っています。

それは自分が金銭的・社会的に危機的状況に陥ったときにお互いを支えられる人がいた方がいいなと思うし、やっぱり死ぬときに周りに家族がいた方がいいよなぁ、天涯孤独で、部屋で1人ぽっくりと死にたくないよなぁという死に方のわがままがあるからです。

だから、結婚の準備期間として女性とお付き合いをすることは必要だと思っています。お互いがお互いと一生を共にすることができるかを考えるためです。

ただ、短い恋愛の繰り返し(それは往往にして学生期間中にあるでしょうが)には関心が湧かないのです。

正直相手の方に割いた時間とお金が無駄だったように感じてしまうのです。


これは私見ですが、このような短い恋愛はお互いの欠けている部分を埋めるために相手からパーツを奪って自分のところに取り込んでいるような感じがします。

これは結婚と大きな違いかもしれません。結婚は、お互いが埋まっている、つまりお互いが精神的に自立している上で、それを共有したり、尊重したりするようなものだと思うからです。


まとめ

今までダラダラ書いてきたことをまとめると、

・自分は性欲がそんなにないし、そんな焦る必要がない。
・結婚は必要だと思うが、学生期間に見られがちな一時を楽しむための恋愛には興味が湧かない
・でもたまに和気あいあいと話すような異性の友人は欲しいかも、ただそれは恋愛関係にある必要はない


最近身近に推しを作ればいいのではないかというのが1つの模範解答として出てきています。アイドルのようなものです。

推しが他の男性と付き合ってようが別に構わない。別にそっけない対応をされていようが構わない。

ただ、その人の幸せを願って、見守り、たま〜に構ってもらうだけで自分は結構多幸感に溢れるのだなっていうことがわかりました。


これからはもっと自分の趣味や友人を大切にしたいと思います。それが多分自分のQOLを上げる最短経路なんかなと。そして大人になったときに、自分のこのいかれた考えと奇跡的にマッチする人がいればそのときはまたアクションを起こそうかなと。今は潜伏期間ですね。






だいぶ長々と書きました。これはあくまでも自分のひんまがった考え方だし、そうでない人を批判する気はさらさらありません。こんな考え方をしてるやつもいるんだという程度に思ってもらいたいし、なんなら今すぐに忘れて欲しいです。

自分ですらこの文章は推敲していません。見返したくもないからです。多分変換ミスとかたくさんあるだろうけど、許してね。

じゃ。








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