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L'homme n'est qu'un roseau,le plus faible de la nature;mais c'est un roseau pensant.
(人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。)

ブレーズ・パスカル『パンセ』

大学時代、フランス語クラスの例文として出てきました。
平易な文章ですが、内容は思索に満ちています。

人気漫画「アオアシ」にも登場する有名なフレーズですね。

葦は、強風や大水で折れたり枯れたりするため、弱いと表現されたのでしょう。
ただ実際は、葦は成長が速く、繁殖力の強い植物です。
地下茎を伸ばして芽を出し、群落を形成します。
水辺に生える葦の群落は、水を濾過し、小動物や鳥、魚、水生昆虫の生息地となります。

古事記の世界

多くの生き物の命を育み、生命力あふれる葦の姿は、古事記にも登場します。

世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神とおっしゃる神さまが、天の上の高天原というところへお生まれになりました。そのつぎには高皇産霊神、神産霊神のお二方がお生まれになりました。
 そのときには、天も地もまだしっかり固まりきらないで、両方とも、ただ油を浮うかしたように、とろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。その中へ、ちょうどあしの芽がはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました。

鈴木三重吉『古事記物語』青空文庫

豊葦原水穂国

同じく古事記の、日本ができた時の記述です。

 これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島ができました。ですからいちばんはじめには、日本のことを、大八島国と呼び、またの名を豊葦原水穂国とも称えていました。

鈴木三重吉『古事記物語』青空文庫

豊かに葦が茂った、稲が豊かに実る国。
これが、日本につけられた美しい名前でした。
豊かな水と葦が生い茂る、古代の日本の景色が見えるようです。

ヒルコの葦舟

続いて、イザナギとイザナミの婚姻の場面です。

こうして結婚式をすませましたが、やがて生まれたのは、骨のないヒルのような、みにくいヒルコ(蛭子)でした。とんでもないかたわ者なので、アシの葉を編んでつくったアシ舟にのせて、流してしまいました。

福永武彦『古事記物語』岩波書店

葦舟で赤ん坊を流した行為の解釈については、諸説があるようです。
悪いものを祓う、追放する乗り物とする説の他、葦の生命力によってヒルコを守護する船、あるいは葦舟を神聖な乗り物ととらえ、太陽信仰との関連で、太陽神の蛭子が海を往来するための太陽船とする説もあるそうです。

参考元:公益財団法人 淡海環境保全財団『ヨシとは?』
國學院大學 古典文化事業『水蛭子』

葦舟は、古くから使われている原始的な舟ですので、この場面に登場することに不思議はありませんが、それぞれの説を見ると、葦そのものにも意味があるように思えてきました。 
調べてみると、葦が神事と関わる情報が見つかりました。

葦と神事

福岡県宇原神社の例大祭では、山笠鉦卸し(かねおろし)という清めの行事があり、葦が使われます。

なぜ「葦(あし)」を使うのか。

葦はただの草ではなく、「豊葦原の瑞穂の国」と日本国の美称が取り入れられた葦。

葦は呼び名が「アシ」と「ヨシ」の二つあり、正式には「アシ」が「悪し」と通じるというので「ヨシ」と呼ぶようになりました。しかし、人間の「足」はそう呼びません。よって、葦は人間の一部より神聖なものであると考えられています。

鉦卸しの際、葦を摘み汐に浸し、神前に捧げるという行為は、自分の分身を汐で清め、神に清めたことを伝えて祭りに臨むという意味があります。

宇原神社『山笠鉦卸し』

愛知県津島神社の天王祭では、神葭(みよし)流し神事という、厄神を流す神事があります。

参考:尾張津島天王祭ー神葭流し神事

葦船社蛭子社という蛭子がまつられた神社もあります。

古来、数え7歳までの子どもは神の子とされ、7歳になる前にこの世から旅立っていった子は神のもとへ帰ったとして葬式をせず水子として祭られることが多かった。

大杉神社の鎮座する一帯でも、そうした子たちすべて水子として丁重に祭った。かつて常陸内湾(江戸時代初頭まで広がっていた利根川か流域、印旛、手賀、牛久沼流域、霞ヶ浦域)に面していた大杉神社には、水子供養のためこうした地域から多くの人々が参詣に訪れていた。

数え7歳にいたらずにこの世を去ってしまった子らを祭ったのが、「葦船社(あしふねしゃ)」あるいは「蛭子社(ひるこしゃ)」と称された神社。

大杉神社『水子供養 大杉神社に葦船神社が再興』

茎の一方にのみ葉がある片葉の葦には、いろんな伝説があるようです。

もともと片葉のアシは祭祀の際に神霊にささげられたり,または尸童(よりまし)が手にする採り物であって,これに神霊が宿ると解釈されている。このように信仰の対象であるアシは神聖視され,採集地も一定しているために伝説化したのであろう。

世界大百科事典 第2版「片葉の葦」の解説

ただし、牧野富太郎博士は、片葉の葦の存在自体を認めていなかったようです。

今私はこれを判決してこのいわゆる片葉の葦は別に何物でもなく、ただ普通のアシそのものであることをここに公言する。

牧野富太郎『植物一日一題』片葉のアシ

人間は一本の葦である、と発言したのが日本人だったとしたら、人間は神聖な力を持っている、という意味になりそうです。

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