野口晴哉「治療の書」より 明鏡の心
前回、以下の記事でご紹介した「治療の書」。
実は、今日は別の箇所をご紹介しようと思っていましたが、昨日annon さんが投稿された記事を拝読し、予定を変えることにしました。
「治療の書」は、人を治療する際の心構えを説いた書です。ですが、治療する、という条件を外せば、我々にもそのまま当てはまる示唆が多数含まれているように思います。
自分が持っている過去の価値観に固執せず、相手の価値観を受容する。
今日は、このannonさんの考えと関係していると私が感じた箇所を、ご紹介します。
学ぶこと、知識を蓄えることは大事だが、それに囚われ、直感する心を鈍らせてはいけない。なぜなら…
人の生死に於いて、今日と明日は同じではなく、変わって当然だから。だから、必ずしも過去の知識を当てはめることはできない。
変わるのは当たり前。では、常に未知の状況にどう対峙すべきか。
明鏡止水の心をもって、人は初めて変化に対峙することができる。
学ぶことも知ることも大事。でもそれらに囚われず、変化を感じる心が大事。
自分の価値観に固執せず、相手の価値観を受容することが大事とannonさんはおっしゃっています。そうは言っても、自分の価値観を一旦傍におくこと、自分とは異なる相手の価値観に反発せず、受け入れることは、かなり難しいことなのではないかと思います。
相手を受容できるようになるためには、まず常に変わる目前の変化を認め、自分の凝り固まった考えを手放す。そういうことかな、と思います。
この心構えを持って三十年間治療にあたった野口晴哉氏。この本を読み込むほど、その生き様に感銘を受けます。
私は、ほんの些細なことでも、過去の経験だけに基づいて、拙速で判断してしまう癖があるので、自戒を込めて、この箇所を紹介させていただきました。
本当はおまけにしたくないおまけ
この記事のコメント欄に、annonさんが以下のコメントを寄せてくださいました。
人にも自分にも、かくあるべし。
そう思える文章です。