荒川堤の桜
連日、桜の記事を投稿してきましたが、桜のことを調べていて気になったのが「荒川堤」というキーワード。ある品種が作出された場所と別に、東京都の荒川堤で栽培された、という記載を何度もみかけました。
(こういう名札を見ると、どうしてもちょっと斜めに撮りたくなってしまうひねくれものです。見づらくて恐縮です‥)
これは一体??
ということで、今回は、荒川堤と桜についてです。
荒川堤
東京都を流れる荒川や墨田川(旧荒川)の河畔、荒川堤。農業用水に用いられるなど近隣の生活を支えてきた川の水は、荒ぶる川の名の通り、幾度もの洪水も起こしました。
明治18(1885)年、川沿いの沼田村の戸長が堤の補修工事とともに、夏の木陰、花見の名所、堤防の補強、洪水時に舟をつなぐ係留杭を目的とした桜の植栽を提案、翌年に堤防の補修と桜の植栽が行われました。
これが荒川堤の桜のはじまりです。
五色桜
荒川堤に植えられた89品種、3000本以上のサトザクラは、開花すると五色の雲をたなびかせたようにみえたことから、五色桜と呼ばれるようになりました。
五色桜の名前の由来は、
「とある新聞記者が「五色桜」と表現」
したから、という文章をあちこちでみかけました。
どの新聞の記者がそう表現したのか、実際に新聞に掲載されたのか特定できませんでしたが、昔の荒川堤の桜の姿が、アメリカの科学誌ナショナルジオグラフィックに掲載されているのを見つけました。
白黒写真に彩色したものですが、それでも当時の華やかなお花見風景がよく伝わってきます。
日米親善と平和の象徴
米国ワシントンD.C.のポトマック河畔は桜の景勝地として知られていますが、ここの桜も荒川堤に由来します。
日米親善と平和の象徴として、1909年に2000本の桜の苗木が贈られましたが、害虫被害により全て焼却となり、3年後に再び3000本強の桜の苗木が贈られました。この時の苗木が、兵庫県のヤマザクラを台木に、荒川堤の桜からとった穂木を接木したものです。
桜の危機
アメリカで日本の桜が根付く一方で、荒川堤の桜は危機に瀕していました。
明治29(1896)年、堤の対岸に化学工場が建設され、排出ガスの影響で桜が大打撃を受けます。
さらに明治43(1910)年には台風で多くの堤防が決壊し、大洪水が発生。人々の暮らしを守るために始まった荒川放水路開削工事により、多くの桜が伐採されました。
桜の名所の存亡を危惧した植物学者、三好学の呼びかけで荒川堤は国の名勝に指定されましたが、第二次世界大戦中、桜は切られて薪にされ、昭和22(1947)年についに姿を消しました。
里帰り
時は流れ、昭和27(1952)年。足立区が米国に働きかけ、米国から桜の里帰りが実現します。1981年にも3000本の桜が贈られ、荒川堤他、様々な場所に植えられました。
今も、荒川や支川の川沿いでは、桜や水辺の植物が楽しめるそうです
軽い気持ちで調べ始めたら、アメリカにまで至る壮大な桜物語が待ち受けていました。
今でも桜の品種を説明する名札に「荒川堤で栽培されていた」と書かれる程、ここの桜は有名だったんですね。
今春、いろんなところで撮ってきた桜たちの中から、荒川堤に咲いていた品種もあわせて紹介させていただきました。
ソメイヨシノは終わっても、サトザクラは元気に花を咲かせています。
まだまだ堪能するぞ、今年の桜!
参考元:
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?