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カブフェスの話(関わった作品編)

2022年9月24・25日
マエカブ演劇フェスティバル(通称カブフェス)が終わりました。
 

無事、快晴

その中で3作品に関わったので、それぞれ触れてみる。
備忘録、的な何か。

①ラクカラーチャ

株式劇団マエカブ、代表の岡田さん作・演出の作品。
現在まで出演者を変えながら上演してきた。
でも、私は出演することがずーっとなかった。

「ラクカラーチャ」の亜種「愛のアレゴリー」という作品には出演したことはあったのですが。

自分の中で「ラクカラーチャを演じる機会は来ないんだろうなぁー」って漠然と思ってた。
だって、若い男女の話だもん。おじさん、もう若くないもん。別に私が演じなくっても……(ゴニョゴニョ

とか思ってた。

でも、ひょんなことから3月に出演することになった
なんだかんだで6月も公演があった。
ついでだから9月も出演しちゃおうか。

そんな感じであれよあれよとここまでやってきた。
気がついたら半年もこの作品と付き合っているんだね。びっくり。

役者はずーっと岡田さんと白川さん。
その時々で音響さんと照明さんが入れ替わりながら入ってくれた。
結構、音と光はシビアな感じだけど、みんな直ぐに順応してた。すごい。

この作品においては完全に「場を回す」ことが仕事だと思っている。
土台となって話を前に前に推進していくイメージ。
如何に他の演者が演じやすいかを常に考えていた気がする。
そんで、そんな仕事は苦手じゃない。だから、楽しくやれた。

自分が演じるのはもちろん楽しいのですが、この作品をしていると「共演者が楽しそうに演じているの楽しい」という謎のホスピタリティが溢れるのが不思議なところ。

岡田さんは毎回、やること変えてくるので合わすのが大変でしたが、逆に新鮮でよかったです。
まぁ、本番中に蘇轍の間に向かって叫び出した時はどうしようかと思いましたが……

白川さんは本番を終えるたびにパワーアップしている感じがしました。
同時並行の「ペシミン」がいい影響を与えてくれてたのかな?と思ってました。

何気に半年もロングランしてた座組みが解体されるのは少し寂しいですが、きっと「ラクカラーチャ」はこれからも形を変えながら上演されていくのだろうなぁー、と思っています。

そして、久しぶりに大書院で演じることができたので幸せでした。

②向かうところ敵なし

こちらも株式劇団マエカブの演目。
作者は久しぶりの共演となる池上さん。
演出は私が担当でした。

NINJA mode
顔にペイントしてるんです

久しぶりに池上さんと何かしたくて声をかけたら快諾してくださいました。
最後にガッツリ共演したのはいつだったかな?
たぶん2016年の「歌舞伎者のパレード」だったと思われる。

最初は落語の「死神」がやりたいなぁー、って思ってました。
まぁ、でも、これは「私がやりたい」と思っていただけで「池上さんとやりたい」ではなかったと途中で気がつきました。

だから、改めて話し合いをしました。話し合いというか雑談ベースな感じ。
お互いの好きな芝居やコント、最近見た映画とか漫画、時事ニュース的なものetc……

そこから素材を拾い集めて池上さんが脚本にしてくれました。
当初はゴリラが人間の言葉を理解する?的な話を書こうと言ってたのに、気がつけばゴリラは消え、頭に葉っぱが生えた人間が生まれました。

そして、まずは世界観のすり合わせにかなりの時間を使いました。

新人類と旧人類の違いって?
侵略者ってどんな外見なの?
というか侵略者って何者?バックに何がいるの?
我々が住んでいる世界ってどんな世界?
そもそも我々は何者?

最初は脚本に書かれていない部分を演出でどう表現するか、ということを考えていました。
でも、途中で「私が好きな池上さんの脚本って余白の部分だったんじゃね?」ってことを思い出して、割り切って捨てていきました。

我々、2人の中に共通の世界観はある。
でも、それを全て外に出す必要は必ずしもないのである。という精神。

稽古に入ってからは早かった。
過去に夫婦役をしたこともあるので……って、まぁ、それは関係ないのですが。

自分でも池上さんとの関係性はよくわからない。

もちろん、お互いに同じ劇団に所属している劇団員ではあるのですが、すっごく仲がいいという感じでもない。
でも、だからと言って仲が悪いとも思っていない。

言葉にすれば「信頼関係」というものになるのだろうけれど、なんだか言葉にすれば一気に安っぽく感じてしまう。

という2人の関係性を含めて、このお芝居で表現できたのかな?と終わって思う部分がある。
お互いに常にアイデアを出してクリエイトし続けることができた現場だったので、かなり濃密な幸せな時間だった。

③ひとりのグリーン・カーネーション

こちらは劇団Confluxでの作品。
久しぶりに自分の脚本を自分で演出し、出演もするという欲張りセット。

こんなシーンはない

当初はあまり脚本を書く意思はなかったのだけど、劇団員のロビンから「Cross Pointをやりたい」という要望があったのが始まりだった。

「Cross Point」は2015年に書いた脚本だった。
あの時、世の中に感じていた無理解や偏見に対して暴力的な手段で対抗してやろう、という過激思想がベースとなっていた。

まぁ、あの頃「大人計画」に熱中していたので「とにかく過激に!激しく!暴力的に!」みたいなエネルギーの塊が自分の中に鬱積していた。

そして、7年経過して改めて脚本を読み直してみると、どーもしっくりこない。

何がしっくりこないのかしばらく考えてみると「時代感に合わない」という答えが見えてきた。
あの頃より、確かに良くなってきている……良くなってきているけど最良ではないよな?という疑問が浮かぶ。

同時期に大阪の同性婚訴訟があって、その判決に対してモヤってた気持ちがベースにあった。
劇団員に「怨念」と揶揄されたけど、それに近いものはあった。

これも劇団員にイジられるけけど、私は作品を作る時に「見た人が嫌な気持ちになればいい」と思ってクリエイトすることが多い。
その気持ちが原動力となっているパターンが多いから意地が悪い。
「Cross Point」が物理攻撃なら、今回の「ひとりのグリーン・カーネーション」は状態異常を……なんて思っていた。

今回、演出を極力シンプルにすることを徹底した。
いつも作品を作るときは音と光をバチバチに使うことを意識するけれど、この作品には必要ないと思った。
同時に余計な味付けをしないので、役者としての力で戦う必要があった。

だから、こちらも意識の擦り合わせは何回も行った。
稽古前や稽古後に何度もフィード・バックを重ねてお互いを理解していった。
脚本を書いた私も、彼らのことを理解していないのだとその度に思った。

その中でロビンはロビンの、ふけちゃんはふけちゃんの、そして私は私の彼らの姿を探り続けた。

結果、4回あった本番の全てが同じ地点に着地することはなかった。

でも、その4回全て、我々はその役を生きることができた気がしている。
俺、バカだからよくわかんねーけどよ。

真面目にセリフ合わせしてる図


まとめ

3作品に出演していたけれど、3作品全てが大切で愛おしい。優劣なく全てが。

そして、意識をすり合わせる時間をちゃんと取ることの大切さを学んだ。
その時間を取るのと取らないのとでは、クリエイトが始まってからの進み具合が違う気がする。
これは今後も意識していこう。

上演して刺激をもらい、
観劇して刺激をもらい、
相乗効果でまだまだ登っていきたい。

毛色の違う3作品にみっちり触れることができて、忙しくもとても幸せな日々でした。

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ちゃっぴー
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