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人生の通過点に旗を立てる

支援が終わる時は色々ある。


抱えている問題が解決したり、

生活の場所が移動したり、

支援者が移り変わったり、

手が届かなくなったり、

命が消えたり、


色んな「終わり」に遭遇してきた。


一番いいのは全ての問題が解決して、私という存在が必要なくなった時だと思う。


昔、大学の教授が言っていた言葉がとても印象的で、

「あなたたちの仕事はないほうが喜ばれる」

「消防車も火事があるから必要になる」

「それと同じように、困っている人がいるからあなたたちが必要なのだ」

と講義の中で話していた。


犯罪があるから警察が必要で、

火事があるから消防が必要で、

病気があるから医者が必要で、


そんな状況と同等に扱っていいのか?という疑問は残るが、まぁ、そこまで的外れなことは言っていないはず。


だから、誰かに頼られている内は、まだまだ未熟なんだと思うようにしている。

誰かに長期間に渡って頼られるということは、瞬間的にその人が抱えてる問題を解決できていないという事だ。

「頼られる」という状況は、何だか自分が偉い存在になったような勘違いを引き起こす。

「頼られる」という事に「勘違い」して、最終的にお互いに「依存」する。

そんな間違いを、まま、犯しながら、ここまで来た気がする。


最近、また、終わりに遭遇することが増えてきた。

基本的には、いい終わりが多い。

それは、とても、喜ばしいことだ。


私の存在はあくまでも「通過点」であり「終着点」になり得ないし、なってはいけない。

しかし、時々、振り返る「旗印」になれればいいなとは思う。


今でも関わってきた人たちのことを考えることがある。

基本的に名前を覚えることが苦手なので、全員の名前は憶えていないけれど、存在や空気は覚えている。


あの人たちは、今、何処で、何をしているのだろうか。

元気に生きていてくれたらいいなと思う。

私も、きっと、そうやって色んな人を通過して、旗印にしている気がする。


勝手に、思い出して、エネルギーを貰いながら、また前に進む。


きっと、この先も、その繰り返し。

最後までお付き合いただきまして誠にありがとうございます。 「サポート」も嬉しいですが「スキ」も嬉しいです。 思ったり感じたりしたことがあれば、是非「コメント」もしていってくださいね。 本当にありがとうございました。