「人生会議騒動」から考えた、最近の「言った者勝ち」の風潮
以前、今、話題になっている「ACP:アドバンス・ケア・プランニング」「人生会議」についての研修を受けてきた。
その時は本当に基礎的な知識を手に入れて「なるほどなぁ」と思っていた。
ではでは「人生会議とは何ぞや?」というと……
もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのことです。
と、厚生労働省のホームページには書いてあります。
私はざっくりと「終わり方を考える」という認識です。
こんなロゴマークみたいです……初めて知った。
人生の流れとか、次世代に継続させる力がデザインコンセプトになっているらしい。
輪廻転生とか、そいうところなのかしら?
そして、この厚労省が作成した「人生会議」のポスターが大炎上してしまい……。
しばらく、ひとりでモヤモヤと考えていました。
厚生労働省のホームページには謝罪文も掲載されており
この度、「人生会議」の普及・啓発のため、PRポスターを公開したところですが、患者団体の方々等から、患者や遺族を傷つける内容であるといったご意見を頂戴しております。
厚生労働省としましては、こうしたご意見を真摯に受け止め、掲載を停止させていただき、改めて、普及・啓発の進め方を検討させていただきます。
ということでした。
画像は削除されているので掲載もできないし、わざわざ引っ張り出すのも無粋だよなぁー、と思う。
でも、ポスターに書いてあった
命の危険が迫った時、想いは正しく伝わらない
「もしものとき」のための話し合い
人生会議
という上記の言葉は核心だし……というか、それしか言うことないし。
しかし、まぁ、抗議文を読んでいたら気持ちもわかる半面、何だか納得できないところも多少はあるわけで。
もちろん、ご遺族の方々の気持ちや意見を考慮すると、軽はずみなことは言えるはずもない。
どんなに後悔しても悔やんでも悔やみきれないし、とても悲しい気持ちになることもわかるのです。
わかるのですが……
同じ苦しみを味わった小藪さんまで攻撃する意味がわからない
というのが、正直な感想で。
今回のポスターに起用されていた小藪さんは「人生会議」の名称を決める際の選定委員だったし、きっと「自分の経験と後悔」があったからこそオファーを了承したのだと想像します。
今回の騒動で謝罪が求められたり、何より「関西弁、芸人がふさわしくない」「グロテスクなポスター」と批判している意味も分からない。
じゃあ、もう、いっそ、文字だけのポスターでいいのではないか?それなら誰も傷つかないしいいのではないか?とも思うのです。
「死」を連想させる「人生会議」のポスターだから、少しでもポップに取り組んだ結果の炎上なのかもしれない。
別にやり方があったとは思う。
もっと誰も傷つけないような当たり障りのないものを作ることもできたはずだ。
でも、何だか「傷つけられた」と「傷つける」のは如何なものなのか?とも思うのです。
まして、相手はタレントであり、絶対に反撃することのできない立場の人。
それを追い込んでしまった事実は、いったい、誰が責任を感じてくれるのだろうか?
まぁ、この炎上で「人生会議」という言葉が大きく広がったので、ある意味では「宣伝が上手くいった」という見方もできる。
しかし、そのせいでネガティブな感情が大きくなっている事実もある。
絶対的に軽々しく扱ってはいけない題材だとは思う。
しかし、そんなのわかりきったことである。
どうして、軽々しく扱っていると思われてしまったのだろうか?
想像したらわかるし、気になるなら色々と調べればいいのに。
調べて、想像してよ。
反射的に反応せずにさ。
もちろん、宣伝物であるポスターだ。
一目見て不快な思いをする人が少ないに越したことはない。
でも、何だか、最近の「言った者が勝つ」風潮ははっきり言って気持ちが悪いし不快だ。
献血のポスターの件もそうだったし。
「表現の自由だ」というつもりもない。
つもりもないが、最近の叩かれ過ぎの風潮は本当に嫌いなのだ。