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#09「2020年 五月の恋」にありがとうの回

 唯一のコマジメさん持ち込み回「2020年 五月の恋」。コマジメさんの熱量すごかったですね。あと「台本を読める距離」という濁しているようで濁せてない、謙遜してるようでしていない、始末の悪いパワーワードも生まれました。見てない作品に相槌を打つの結構難しいなと思ったのですが、これまで易々こなしてきたコマジメさんがいかに的確・要領・お上手であったか、身につまされます。この作品、収録当時は見れなかったのですが、”東京ドラマアウォード2020”受賞記念ということでYoutubeで見れます。WOWOWオンデマンドで会員登録しても視聴可能なようです。

 というわけで、私は今さらYoutubeで見終えたところ。1話15分、全4話。全部で1時間。サクッと見れちゃうのでぜひご覧ください。吉田羊さんのコロコロ変わるキュートな表情とナチュラルな声と仕草、大泉洋さんの丁寧で柔らかな演技と色も素材感も薄めのスウェット、構造としてのアハ演劇。なるほど、コマジメさんの好きが詰まっていましたね。これ毎日15分ずつ見ていたらすごい楽しかったろうなあ。あまりにふたりの様が自然、というか普通に生きている人間の風合いみたいなものをまとっていて、この元夫婦の距離が物理的にはちっとも変わらないのに、でも距離感は確かに伸びたり縮んだりしていて、その変化に気持ちを乗せざるを得ないというか。めちゃめちゃ気持ちが同化してしまいました。

 どうやって撮って演出してるのか気になっていたのですが、ただシンプルに電話しているんですね。すっごいなあ。あと監督のサイズ感もリモート時代あるあるで、構造も内容もアフタートークまで隅から隅まで今の時代の産物でした。

 見ながら、もうすでに当時の話を「あの頃」として捉えているのに自分で驚きます。スーパーが市民の砦になってしまった頃、電車なんて乗ってはならないと思っていた頃、家に一人は少なすぎるし二人以上は多すぎると感じていた頃、聴きたいのは誰の声か思い出していた頃、もうすでに「あの頃」なんですよね。良いのか、悪いのか。今まだ非日常の長いトンネルのなかにいる気がしてますが、「あの頃」と比べたらずっと日常ですよね。だって、なんで小麦粉とベーキングパウダーどこも売り切れだったんだか、あの頃。いまだにわからん。

 たまに思うのですが、私たちって劇中の何を見て心を動かしてるのかなって、不思議になりませんか。画面やスクリーンのなかの、彼らの表情や仕草やセリフや、あと照明や音楽なんかで、彼らの気持ちの状態や変化を読んだり汲み取ったりしてるわけですが、いやいや、それってすごくない?なんで出来るの?コマジメさんもきっと私と似た気持ちのはずだけど、それってヤバくない?って思います。身も蓋もないこと言いますけど、気持ち、映ってないじゃないですか。そもそも、見たことも無いというか。台本の話もしましたけど、台本にだって事細かに気持ちの形状や温度や変化の度合いが、逐一書き起こされてるわけじゃないですしね。
 今回でいうモトオとユキコの気持ちを、モトオとユキコが表出している(もしくはしていない)表情や仕草やセリフやアレコレから読み取っているわけで、実はものすごい難解なことをやっている気がして。私はまだ納得いってないというか、疑っているというか、「当然のことじゃん」と受け流す気になれないんですよね。
 急に何言うかという感じですが、岡田惠和さんの描く彼らがあまりにチャーミングで、心境のグラデーションがいきいきしてて、私の気持ちがものすごく乗っかってしまったもので、改めて「不思議だなあ、なんでかなあ」と思った次第です。これは、私がこの頃言いすぎてダーマツさんが辟易している「鬼滅、全ての感情がモノローグで説明されるので敵含めて誰彼構わず気持ちがなだれ込んできて疲れる、あと気持ちが統一されてしんどい」説にもつながってて、今後、気持ちは読んだり汲み取るものではなく、懇切丁寧に教えてくれるもの、というのが令和の様式になるかもしれない、そんな予感もしています。

 過去と未来の回もあります、聴いてくださいね。コマジメさんの多忙すぎてほぼ音信不通月間を越えて、最近久しぶりに収録しました。テーマは「ざっくりオンラインエンタメを、音楽中心に振り返ろう」でしたが、おおむねCreepy Nutsを愛でるダーマツさんのキモチが漏れ出る結果となりました。聞いてくれよな!

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