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医師として自分の発達障害に向き合ってみる①

正式に診断されたわけではありませんが、神経専門医の先生に「P先生はインチュニブ飲んだらいいと思う」と言われたので、おそらく私は発達障害なのだと思っています。

生き辛さはずっとずっと抱えていて、理解されない孤独感とか、そもそも、私はなんで人と同じ事に興味を持てないんだろう、人と同じように行動できないんだろうと、今も思っています。

私は幼稚園生の頃から、友達の家に遊びに行っても、友達の家の本棚から本を選んで、母親に読んでくれとせがむような子でした。

女児の発達障害あるあるで、コミュニケーション力はある程度あるけれど、興味関心の偏りと興味対象への執着の強い子どもだったのでしょう。


これが私の初めての執着の記憶です。



執着の傾向は凄まじく、中でも1番強く執着を持った事は医師になる事だと思います。
医師家系じゃない子が医師になろうとする時は、大抵何かしらの理由なりエピソードがあったりするけど、私の場合はそういうものはなくて、看護師になろうとしたら母親に医師になる事を勧められたから、それから自分は医師になるとずっと思い続けていた、ただそれだけ。
それだけの事なのに、医師になれなかったら自ら全てを終わらせようと思っていたくらいです。

この話を学生時代に友達に打ち明けた事はありませんが、周りの人達も私を変人だと感じていたようで、変だとか、当時流行りのKY(空気読めない)だとか、同性の友達に何百回言われたかわかりません。

ただ、当の本人には何が変なのか、KYなのだか分からないから、自分は受け入れられない人間なんだと孤独感を深め続けていました。


医師になってからは周りも、発達傾向のある人達ばかりで安心していましたが、私が研究するために外勤を潰したり、仕事に明け暮れる姿を見て、先輩後輩から「Pは頭おかしい」と言われるようになりました。


変人の中でもさらに変人と言われるのだから、私はいよいよ世間でいう普通とはズレているのでしょう。


年をとった事もあるのか、昔ほど孤独だとか、寂しいとか、理解されたいと言う気持ちはありません。でも、自分が内側に入れた人にはどっぷり依存する傾向がある気がします。
自分の感情に蓋をする術を身につけただけなのかもしれんけど。


子どもの頃の私が、存在してはいけないと思って、海外に行くって考えて、執着したものが医師になる事で良かったと思います。

私もネットやSNSが身近な現代に生まれていたら、違った大人になっていたような気がするから。

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