【たわごと#162】陰謀論は楽しむものでありたい
インターネットのおかげで情報入手が驚くほど簡単になった。まさに情報革命とは言ったもので、知りたい事はすぐ分かるし、関連書籍は注文すれば翌日に届く。本当に便利な社会になったと思うけど、その裏で弊害もある。Twitterなどで多くの人の意見が聞けるのは良い事なんだけども、その元となる情報の信ぴょう性が非常に曖昧であったりする。そのため正しい情報も得られるようになったけども、それ以上にノイズが増えてしまったために、情報を見極める力、情報リテラシーが重要となっている。
今から40年ぐらい前、「第三の波」というベストセラー本が出版された。著者はアメリカの未来学者であるアルビン・トフラー。この本の中で今の情報化社会の出現を予想し、さらに個人の情報リテラシーが求められ、有効に情報を活用できる人と出来ない人で格差が広がるだろうと予想している。
まさに世の中、このような状況になっていてびっくりしてしまう。ネットを見ると一瞬真っ当なことを言っているように見えるけど、情報源や論理展開が怪しいものが沢山ある。これらの話が本気なのかネタなのか分からないけど、それでも沢山のいいねが付いている。文章の正しさよりも、肩書きや感情で判断してしまう人って結構いる。何を支持するかは個人の自由だと思うけども、自分でどれくらい信用していいのか判断する基準は持っていた方がいいと思う。
「~に決まってる」「~に違いない」という言葉が出てきたら、確証は無いんだと考えている。怪しいと思う事と事実はイコールではないのに、いつの間にかイコールになっている事って良くある。テレビの報道番組だって、専門家が「~の可能性が否定できない」と言っているのに、司会者は「○○さんは専門家の立場で~だと仰られましたが」と確定情報として話していたりする。こういう点に注意しないと判断を誤ってしまうので注意しなければならない。
最近はテレビやネットの情報は、陰謀論程度に考えた方が気が楽だなと思っている。ついつい気になって調べてみるのも時間の無駄なような気がしているし。陰謀論は信じるものではなくて、楽しむものであった方がいい。でもこの進んだ時代になって、信用できるものが自分で調べたものだけっていうのはちょっと寂しいな。せめてネット住民の皆様には、楽しい陰謀論を語って欲しい。
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