もこもこのミルク
好きでした、あのときのあのひとも、あの頃のわたしときみも。
「愛されて生きて」そう言ったあの人は、
遠い遠い昔のあの人だった
愛されるというのは、一体どんな感情なんだろうか。
この間、母が姉の婚姻届の保証人の欄に記入していて、その隣で、旦那さんに父が「これでバトンタッチ」とハイタッチしていて、それをリビングから眺めていたら
何故だか涙が出た
この間、ピンクムーンの夜だったそうだ。世界がピンクに染まるなら、それはとても素敵なことで、一緒に見たいと願う女ともだちには新型ウイルスとやらのせいとか、彼氏や男の人に勝てないとか、そういうことで会えないし、好きな人は社会人になって今まで考えもしなかった「昨日もあったし」なんて理由で会いたいと言えなかった。
確かに空はピンクだった。その日、しばらく眠れなかった。
今年の母の日には、あまり大袈裟なことはできなくて、小さな花束とお菓子を贈った。何枚も写真を撮って、花を飾って、その後カフェラテを入れて、お菓子を選んでいた。母はそのお菓子を、私に「はんぶんこしよう」と渡してきた。
とても甘い、サクサクのフロランタン。
LINEの返信のスピードとか、今日どこで何をしていたとか、ストーリーを見てくれたかどうかとか、全部にワケを探してしまう
それは愛着障害なんだと言われたこともある、冒頭の言葉を投げられた時期と全くいっしょ。
私は、本当に両手に収まるほどの大好きでたまらない友だちに、だいすきな彼と、
複雑でも私の大切な家族と。
彼らを愛せていたら、それだけが私の幸せだなんて陳腐な言葉を並べて、そんな自分の気持ちが割と好きだった。
ここ数日、特に理由もなく気分がどんより落ちていて、涙が止まらなくて、ご飯を食べるのもだるくて、何もしたくなくなった
大好きな人たちには、それぞれ責任があって、気にしなければいけない人がいて、特に理由もない私のどんよりした気持ちだけでとてもわがままを言えなくなっていた
すとんと1日の記憶が抜けているような、そんなことが増えた
何をしていたんだっけ、そう思って頑張って思い出そうとしても、何も思い浮かばない
LINEの返事はしているし、課題は出してるし、なのに、その記憶が一個もない
ああ、またか、そう思った。
あの頃もそうだった、忘れもしない、
ちょー陳腐な理由で、人生の意味を問うような思春期みたいなあの日、あの頃
夏、冷房の効いた部屋の自分の部屋の匂いがたまらなく好き
ずっとうさぎを飼っていて、その子のために去年まで我が家の冷房はつけっぱなしだった
今日、癖で冷房の温度と風向を調節して家を出て、電車の中で気づいた
もう必要ないんだったな、いつも面倒くさかった微調整。冷房をつけ忘れた日は、早く帰りたくて仕方なかった。
人は本当に忘却の魔法を使えるんだろうかな
懐かしいっては もう取り戻せないということなのだろうか
安っぽい週刊雑誌の見出しみたいなわたしの毎日
夢に見る君の未来の中の、ほんの少しの脇役でいい
その世界を少しでも明るくできたら、そんな人間に自分がなりたいとそう思った
誰よりも、きっと今までもこれからも、ずっとずっと大切な君のこと。
暑くないかな、寒くないかな、お腹空いてないかな、どこも痛くないかな、そんなことだけを見返りなど望まなくともずうっと考えていた、去年までの夏のようなその淡さを
君にだけはずっと忘れないよ、届けばいい、届かなくたっていい、
そんな愛があることを、音にも言葉にも乗せる才能がない自分があまりにも悔しい