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ダメ社員からのエール
昨晩から筆者は会社に泊まり込んで作業をしている。
先日のエントリーでもつづった、「5日の案件」がなかなか終わらなかった。そして妻は案の定、家を出て行った。筆者の実家で手巻き寿司を食べたらしい。筆者の昨晩の晩ご飯はコンビニ弁当と野菜ジュースであった。目がかすんでいる。吐き気がする。背筋が寒く、頭皮の脂汗が取れない。インスタグラムで「GW最終日はみんなでBBQ」というフィードを見て、フォローを外した。
さて、ありがたいことにフォロワーが100人に迫りそうな勢いである。筆者の日常や戯れ言をつづっただけの文書を100人に迫ろうという方々が読んでいただいている。初投稿が4月14日であったので、初めて22日間に達したとしている。ちなみに読んでいただいたPV数は1万5000を突破した。そしてあろうことか、お金まで頂いた。「毎日更新する」と意気込んだものの、辛い。本業でないので、気が向いた時に書くことにしている。「毎日更新するんじゃないのかよ!」とお怒りの方もいるかもしれない。そんな人は、パートナーに対していつまでも昔の恋人について問い詰めているようなものだ。みっともないのでやめることをオススメしたい。
筆者はnoteのエントリーを作るのに大体1時間くらいかける。書き出してから「何書こうかな」と考えながら文章をつづるスタイルなので1時間では正直足りない。だから、誤字脱字に関しては許していただきたい。先日、伊達君の恋人募集をしたが、一件も問い合わせがなかった。これは筆者の誤字脱字、文章のちぐはぐさによって伊達君の魅力が伝えきれなかったのだと思う。伊達君と出会うはずだった世界の女性たちには謝罪したい。
閑話休題。本日はGW最終日だ。明日から仕事だと震える人のなんと多いことか。気分はさながら処刑を待つ、中世フランスの貴婦人のようだろう。もうお前が飲める紅茶はこの世に無いのだ。明日からは歯車として、馬車馬として、頭皮に脂汗をたぎらせながら目の下にクマをつくるといい。
しかしながら、筆者の周りには「GW最終日」とSNSで謳いしながら、実は定職についていない人が結構いる。筆者はアラサーである。そんな世代の人々でも、芸が無いのに「芸能人」を名乗る人、韓国人と付き合っているだけで「国際カップル」という謎の肩書を名乗っている人、気が向いたらアルバイトをするだけの扶養家族……。無職の人々をがたくさんいる。彼らはGW以外でも、ほぼ毎日のようにカフェか公園の緑かアサイーの写真か自宅でのトランプ大会の模様を世界に発信している。それなのに「GW最終日」に寂寥たる思いをつづっている。毎日休日みたいなものなのに。
そもそも、日本人は労働を尊いものと妄信している。「働くことで人生の深みが増す」などと言う人がいるがそれは嘘である。自分の人生と深く向き合うのは、大切な人ができたときである。別にパートナーが配偶者や子どもである必要は無い。同性でも、恋人でも構わない。「この人のために何かをしてあげたい」と思い、好きになってもらうように努力する。うまく付き合えるようになったら、今度は「愛したり」「守ったり」「信頼したり」して、「自分が頑張らなくては」と思う瞬間がくる。そして上手くいかず、傷つく。3日坊主のダイエット2日目のように筋肉痛で動けなくなるような悲しみが時にある。でも3日目に200グラム体重が落ちてて、うれしい。同じようなことが人との交わりの中で起きる。人生の深みというのはそういうところにあるのだと思う。
反面、金を稼ぐという即物的な行為に人生の深みというのは見いだし辛くはないか。その自分の趣味趣向と「やりたいこと」が必ずしも一致するとは限らない。何かを得るために犠牲を払っている時間を乗り越えるには精神的な鍛錬が必要だ。先日、アナウンサーの古館氏がニートに働けと説教していた。妻もそれを見て「ニートは人生をなめている。そう思うでしょ!?」と同意を求めてきたが、「いや?仕事するのしんどいじゃん」と答えたらケンカになって顔面を殴られた。
筆者が今の仕事をしているのは、お金がたくさんもらえる上に何となく格好良い自分でいられるからだ。肩書や給料というのは人生にとって大切な要素である。トイレの芳香剤のようなもので、無いとなんだかソワソワする。スーツを着て、電車に乗り、上司に怒られているとなんだか立派になったような気がする。「あぁ、俺頑張っているな」という気持ちになる。その点、無職はダサい。特に30歳手前で「自分探し」をしている人なんかはものすごくダサい。そういう人に限ってSNSで聞いてもいない情報を発信する。必死になって働いているかつての同級生を捕まえては、酒を飲みに行って、「変わらないね」とか言っている。でも、自分を無職とは言わない。「自分探し中」とか言っている。自分以外に自分はいないのに、それを捜索するというのはサイゼリヤの間違い探しよりも困難である。
筆者は、生きていく上でダサくても良いと思っている。筆者が必死になって働いているのは、自分が格好良くいられるという以上に、借金もあるし、妻や泣きバナナ(※愛娘。最近、お茶を上手に飲めるようになった)を食べさせなきゃいけないからだ。だから、宝くじで3億円当たったら、すぐ無職になる。ぶっちゃけ、500万円でも無職になる。むしろ、「本でも出しませんか?」と言われて印税が5万円でも入ってきたら無職になりかねない。
ダサいというのは甘美な言葉である。最強の言葉だ。ダサい人には何も求めない。筆者だって、ダサい人に人生相談もしないし、洋服だって選んでもらわない。それでも生きていけるとしたら。何もすることがないなら、海で1日つりをして「今日はたくさんアジが釣れたなぁ」とか、八百屋にお使いに行って「小松菜が10円安かった」とかそんな毎日が待っている。誰にも期待されず、誰からも評価されず、自分の好きなモノを信じて生きていける。これ以上に幸せな生き方があるだろうか。筆者ならそんな環境になれば狂喜乱舞する。毎日泣きバナナを転がし、妻を連れて地元の商店街で食べ歩きをする。飽きたらちょっと足を伸ばして山菜を摘み、それにも飽きたら漁師の仕事を手伝って、売れない魚とか貝とかを持ちかえって食べる。
だから、GW最終日であっても普段と変わらない日々を送ることをしっかりとハッシュタグをつけて表明するべきである。別に恥ずかしいことではない。本来であれば「#無職」が適当であるが、なんとなくオシャレでありたいなら「#明日からも変わらない日々」とかにしておけばいい。きっと来年の流行語大賞になっていると思う。