象になりたい娘と父親
こんな時節、大変申し訳ないが冬のボーナスの査定が上がった。
夏と比べて2万5000円増。業績評価が一段階上がったことが、要因だった。筆者は査定対象期間、まるでぼろ雑巾のように働いた。拙著「ダメ社員の日常」でもつづっているように、筆者は会社員としてまるで評価されていないのだった。3年ほど前まで、筆者はシュレッダーを片付ける仕事をしていた。そう、筆者の仕事の価値は大手家電量販店に並ぶ、旧式家電となんら変わらなかったのである。
ところが、ところがである。筆者が作り上げた作品がなぜかオオウケで筆者は出世した。といっても、花形部署にいける訳も無く、「当落線上」と呼ばれる部署であった。ここで結果を出せば……と否応無しに肩に力が入った。そんな半年間であった。
うまくいったことも、いかなかったこともある。実際、現在の部署ですでに抜擢されていく同僚たちを見てきたが、筆者に声はかからなかった。筆者は不安で押しつぶされそうになりながらも、ボーナスの査定が上がったことはある程度自分のことを褒めても良いと自信につながった。
が、同時に筆者はある事実に気付いた。会社に評価されたことを喜んでいる自分に、である。
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泣きバナナ(※愛娘)は成長して、言葉を巧みに操るようになった。先日、こんなことを言い出した。
「ぞうさんになりたいな~」
これは名作絵本「ぞうになりたい」を読了後のバナナの感想である。筆者も人の親なので、娘が望むことならばなるべく叶えてあげたい。しかし、筆者の少ない教養の中では、人類が象になる手段が分からないのであった。同じ哺乳類であるということから、鳥や魚になることを考えれば、少しはハードルが下がるというものの、あの体躯と長い鼻を手に入れるのは、いささか難しいようにも思えた。
バナナはまだ、この世界に生まれ落ちてわずか2年と少しばかり。社会の現実を知るにはまだいささか若すぎるし、夢を捨てるには幼すぎる。いずれ科学が進歩して、象になれる日がくるかもしれない。当然、バナナが象になったあかつきには、筆者は横で寝ることはかなわないだろう。バナナが寝返りを打とうものなら、筆者の178センチ95キロの華奢な体は安々と踏みつぶされてしまう。そうなるとバナナが食べるための林檎などを確保する金銭的な手段が無くなってしまう。万が一にもバナナに殺害された場合には、生命保険も下りるかどうかが怪しく、寝室を別にしなければならない。
先日、仕事の取引先と話していた時に、こんなことを言われた。「僕は子どもが好きですよ。だって”未来”を感じるじゃないですか。僕たちと違って」
僕たちと違って?
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筆者はつい最近までティーンエイジャーだと思っていたが、齢30を迎えていた。世間から見ればもう立派な大人である。妻子があり、スーツを着て毎日出勤する。携帯電話料金も自分で払うし、なんなら妻の分も支払っている。妻子の食費はもちろん、保険にも加入する。バナナが持っているプリンセスのコップの数々は筆者の給料で買ったものだし、妻が愛用している2か月分の食費のダウンコートも筆者の賞与で買ったものだ。
もう、象にはなれない。
東京はあまりに明るく、毎日がめまぐるしく過ぎていく。季節の変わり目に思いをはせることも、少なくなった。「室内」が多すぎて外の気温もよく分かっていないし、なんなら雨が降っていても傘を持たなくてもなんとかなるくらい歩けども歩けども、天井がついてくる。その天井に押しつぶされるように、筆者はどんどん自分の存在が小さくなっているように感じる。
きっと、筆者が今の仕事を最後までやり遂げたとして、あるいは別の仕事をしてある年まで働き続けたとして、筆者の名前を多くの人が後世で知ることはないだろう。筆者がこの世を去るとき、誰もその名を知らぬまま墓石に眠ることになる。誰かがやってきて、たばこをくゆらせながらウイスキーをかけるかもしれない。筆者はウイスキーを飲むと自動的に嘔吐するオートシステム(上手ですね)が搭載されているので、やめていただきたいが。きっと力石徹が死んだときのようなことにはならないであろう。
筆者は学生時代の頃からなんでもできた。音楽は得意だったし、勉強もやろうと思えばできた。運動神経はいささか悪かったものの、強豪の部活で副キャプテンをやるくらいには上達した。大学も志望校に一発で合格し、有名企業に就職した。世界は、自分のためにあるとすら思っていた。
でも、筆者の「未来」はどうやらここまでのようだった。ここからもう一つ、自分の名を成すには才覚も器量も無いように感じさせるには十分の出来事だった。
だから筆者は「未来」を子に託すことにした。家族に「今」をささげることにした。「過去」はもう、卒業アルバムとヘソの緒と共に物置にしまっておくことにした。
筆者はもう象になれない。だけれど、懸命に生きる人生の渋みと甘さは知っているつもりだ。
象になる道を一緒に探すことはできる。だから。
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