生きたのに、死んだともみとめられないのか。
2回目の妊娠。3人兄弟で育った夫と私は、子どもに兄弟ができることに抱き合って喜んだ。「嬉しいね、元気に育ってね。ベビーちゃん!」とお腹をなでる。今回の妊娠はつわりが強かった。
母子手帳はホイッと貰いに行き、妊婦健診も慣れたもの。
第一子を連れて4回目の検診「う〜ん、心拍がね確認できないですね。」
言葉が出なくなり、お医者さんが話す今後の事も聞こえなくなった。
状況を把握していない第一子は、エコーの写真を先生から奪い取り大喜び。「あかちゃんだねぇ」
「これから自然に出てくるのを待つか、手術をするか考えてください。紹介状書きますね」
心ここに在らずの返事をし、未記入の母子手帳を受け取り病院を出る。
自転車にまたがり夫に電話。「あかちゃんだめだった。心臓動いてないって」
泣きながら電話を切ると、自転車の前に乗る第一子が「かっぱえびせんあるよ?一緒に食べよっか!」と顔を覗かせた。優しさが染みて笑って泣きながらかっぱえびせんを食べた。
「赤ちゃんだめだったの?お空いっちゃった?」
「そうなんだよ。もちちゃんと一緒。またきてくれるかなぁ」
先日ペットのもちが亡くなったことを話していたので、もちちゃんと赤ちゃんが一緒に仲良くしてくれたらいいねと第一子と話した。
泣きながら帰宅。何回も何回も泣いた。
2024年10月私は今、術後の回復室でゴロゴロしながら書いている。麻酔が抜けきれなくて頭がグラグラ、身体はフラフラである。
さっき、9週間生きた、もっと生きるはずであった子どもを取り出す手術をした。稽留流産。死産と認められる週数は22週。そうか、会うこともできないのか。生きていたのに、形があったのに、死んだとも認められないのか。
心拍が確認できず悲しんだ次の日は仕事で誕生日パーティーの司会。産まれた人を祝う。
心肺停止後もしばらくお腹に居ていつ出てくるかわからない期間を過ごす。でも、いつ出てくるかわからない状態が続くことに怖くなって手術を決めた。
続く