豊かな社会とは何か、それは「不可解」を受け入れるということ~映画『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』を観て~
ジェンダー・国籍・民族・宗教・障害・LGBT・・・。そもそも生まれることについて誰も同意せず選択もしていない。社会は「不可解」で成り立ってるんです。
年始にいくつかの映画を見て良作に出会えました。
※映画館に行くんじゃなくレンタルDVDでごめんなさい
『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』(2015年公開)
詳しい映画の内容までは紹介しませんが、現代美術家の内藤礼さんを追ったドキュメンタリーです。けれでも、いわゆる「芸術家の知られざる素顔に密着しました!」みたいな感じではありません。この映画の本質はまったく違うところにあります。そのことについてこれから書きます。
余談ですが、僕は監督・中村佑子さんを不勉強で知りませんでした。すみません。一作目の『はじまりの記憶 杉本博司』必ずどこかで見たいと思います。
映画に登場する人物は何人かいますが、僕の考える主役は人間ではありません。香川県豊島美術館にある『母型』という内藤礼さんの作品(正確にいうと建築家・西沢立衛さんと共作)です。
外観はまるでRPGに出てくるような異世界にある半円の要塞。中に入ると丸く大きく切り取られた天井から陽の光や風が差し込みます。なによりすごいのは『母型』の下には地下水が流れていて、いたるところから水滴が湧きでます。その水滴が中央のくぼみに集まり水たまりが出来ていくのです。
この『母型』自体がまるで知性を持った何かの生命体。よく分からないが生きているよう。簡単に理解出来そうにありません。
この『母型』を初めて見た時、僕は『惑星ソラリス』の”海”を思い出しました。
SF映画の金字塔のひとつ『惑星ソラリス』(個人的には『2001年宇宙の旅』よりこっちの方が好きです)ですが、まあ難解でよく分からない映画です。
その最たるものが、映画の舞台である惑星ソラリスの”海”。
ただの海ではなく「理性を持った有機体と推測されるプラズマ状の“海”」という設定になっています。人間に何かを伝えようとしていますが、最後までそれが何か分からない。
つまり「不可解」の象徴として”海”は君臨しています。「不可解」と人間はどう生きていくべきか。これが『惑星ソラリス』の大きなテーマのひとつです。
話は戻って『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』の終盤、『母型』に様々な境遇を持った女性たちが集まってきます。事故にあった者、病人を見守る者、戦争の記憶を抱える者、大人になることを恐れる者・・・。
このシーンは圧巻でした。
よくよく考えてみたら、事故にあうことも、人が病むことも、戦争も、大人になるということも、すべて「不可解」です。これらを上手に説明できる人がいたら誰か教えて欲しいです。
誰も居ない『母型』よりも、女性たちが集まってきた『母型』の方が、不思議と僕は好きでした。理由は『母型』内でそれぞれ互いが「不可解」を受け入れて共存していたからです。とても優しく豊かで寛容なシーンでした。
しかし、日常生活に目を向けるとどうでしょう。「不可解」を受け入れることは結構難しいです。
ジェンダー・国籍・民族・宗教・障害・LGBT・・・。
これらに関して自分が属さないレイヤーへの偏見や差別は蔓延っています。
理由はただひとつ、「自分と違う」から。「不可解」だからです。
けれども、よくよく思い返して欲しいんです。
誰もこれらに関して同意せず選択もしていない、そもそも生まれること自体「不可解」なんですから。
僕だって自分と違う物事への偏見や差別が無いと言ったらウソです。偏見や差別は無意識にあります。けど、どうにか理性で「それは間違ってる」と自分にいつも言い聞かせてるつもりです。だって、僕自身も「不可解」な存在ですから。
無理に「不可解」を分かろうとしなくても、遠ざけない。
互いに受け入れて生きていく。
「不可解」を抱えた女性たちが集まった『母型』のように、この世の中も豊かで寛容で優しい社会であって欲しい。
そんな忘れがちな大事なことを改めて望ましてくれる素晴らしい映画でした。
あ、豊島美術館に行って実際の『母型』見てみたいなあ。
出来れば今年中に。。