世界に対する解像度が違いすぎると話しにならないのは仕方ない。
どっちが上とか下とかじゃなく、それぞれ本来なら出会うことも会話を持つこともないはずの、異世界を生きてるも同然という人たちの有象無象が集まっての発信、発言がインターネットの上で噛み合うわけがなくて、みんなうんざりしているんじゃないか。
SNSには、そんな色んな次元の人たちの言葉が一つの空間に集うからとにかく衝突が起きやすいし、
エゴを刺激して画面に夢中にさせるっていうロジックが巧みに仕掛けてあるから、エゴを刺激する=心にダメージも受けやすい、ということを、分かって使わないとのめり込みすぎるのです。
今のSNSを進化の装置として捉えるなら、"可視化されてる部分を全てだと思わず自分の現実を生きることにしか意味はない""他者のエゴに干渉しない"同じ日本語を使っていても、行間の読み方や奥行きもみんな違うなあ。当たり前に。"とかそういう気付きを得られるくらいでしょうか。
もちろん良いところも沢山ありますし私は本来SNS好きです。世代的にもネイティブなので、ないとか考えられないです。
でもやっぱり基本的にはスーパーエリートたちによって考えぬかれたこの画面をいかに長時間表示させられるかっていう激ヤバ脳汁を伴う単なる広告アプリであり、私たちは常に分析されているターゲットであることを忘れないことが大切だと思います。
SNSをやる時間の半分でも瞑想とかしてた方が絶対に良いです。
嘘が本当のように、本当が嘘のように、"数"や"言葉"という神聖なものが暴力のよう使われている場面も多く、やりすぎると本当に変になってしまいそうです。
実際に世界のエリートが集まる企業では社員たちは毎日瞑想の時間を設けられて能力を高めています。それは何故かっていうと本当に効果があるからです。
私は時間さえ有効に使えばこの世の全員が天才になれるし、なった方が良いと思っています。
きっと、今後も画面に夢中になってしまうような世間を騒がすニュースは絶え間なく供給されるでしょうが、だからこそSNSばかり見るのは辞めて、1人1人が自分を高めるために時間を使ってほしいなと思います。
読書、瞑想は能力を目覚めさせるために本当に効果があるということすら人間という生き物を学ぼうとしないと知ることが出来ない。
人間を生物として知れば知るほど、食べること、死ぬまで生きること、自分を愛すること、人生を創造すること、これらの一つ一つにもっともっと幸せを感じられるようになります。
他者が生み出したドラマに踊らされすぎずに、
自分のためになることとして、まず第一に心の平穏を保ち続ける訓練をし、大きな心、広い視野で人の幸せを喜び、協力し、無限大に成長し続けるマインドで生きようぜ、という感じです。内側の世界の方が広くて探求し続けるとすっっごく楽しいよ。
想像。愛を超えた愛。
良い波動で生きるんだぞ〜◎
まあ個人的な感想です、ぴーす✌️
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