だし巻き卵がうまく焼けなくても
私は、だし巻き卵を巻くのが苦手だ。
アルバイト先で、だし巻き卵を巻くのはホールの仕事なのだけれど、たっぷりの油を使って、熱々のフライパンで、きれいなだし巻き卵を巻くのが苦手。火にびびり、はねる油とフライパンの重さにびびり、上手にフライパンを返せない。
わたしの巻くだし巻き卵はいつも、なぜだか他の人がつくるだし巻き卵の1.5倍くらいの高さになってしまう。
キッチンで働くコアラさん(と呼ばれている人がいる。私の大好きな社員さん)には、「だし”太”巻きたまごだねw」と笑われた。
コアラさんの口調は本当に語尾にwが付いていたから、字面に起こすとこうなっていると思う。
※ちなみに写真はわたしが焼いただし巻き卵ではないです。
落ち込んだ私を見て、横で見ていたオーナーがぼそっと「でもこれぐらいがいいんじゃない。出来ないことがある方が親しみやすいし、逆に価値だよ~」と言った。
なんだかそれを聞いて「そっか~」と妙に納得してしまった。
忘れていたけど、いや忘れんなという感じだけど、私には出来ないことがたくさんあって、それでもそれを許してもらって、今までとことんお得に生きてきたんだった。
高校の時、数学が絶望的に出来なくて、隣の席の子のノートを持ったまま黒板に回答を書いても、「分からないから当てないでください」と先生に言っても、まあ田中はしょうがないと許してもらえてきた。授業中は、座標に並んだ格子点の数を数える、というような問題ばかり当ててもらえた。
そういう、まあ田中はしょうがない、と言ってもらえる環境だと、それならできることはやってやろうじゃない、と思えていろいろと頑張れたりもする。格子点の数も全力で数えた。
逆に、周りから期待されているな、と感じる環境だと、なんだかこれっぽっちも間違えられないような気がして、息が詰まる。ありがたいことなのになぁ、と隠れて落ち込んでいる。
だから、「さすがだね」という言葉には、ちょっと呪縛みたいなものを感じる。
最近は、バイト先だけではなくて、いろんな場面で、誰かと自分を比較して、私にはあれもこれもそれも無いじゃん~と無いもの探しをして、アホみたいに一人で落ち込んでいた。
でもオーナーに「それでいいじゃん」といわれてすごくしっくりきてしまった。
できない穴を埋めるために努力をするのはとても大切な事だけれど、全部完璧になんかできるわけはない、という当たり前のことは忘れてはいけないぞ、と思う。
そして完璧になれないのは、わたしも、誰かも同じだということ。誰かが時々すごくうらやましくなるけれど、完璧なあの子も、もしかしたら、だし巻き卵巻くのは下手かもしれない。
あとは、環境って、結局自分の感じ方次第なんだな。そんな田中でいいよ、と言ってくれそうかな、どうかな、と決めているのはわたしでしかないわけだ。
それなら、でこぼこを「それでいいじゃん」と笑ってくれる人たちの言葉をちゃんと受け取れるように、私も不器用なだし巻き卵を見て笑い飛ばしてやろう。