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シャウエッセン育ち

一人暮らしを初めて、早一ヶ月。

思いのほか楽しく生活をしている。

好きなものを好きな時に、作ったり食べたりできることに、実家暮らしの長かったわたしは心躍らせている。

日々、買いすぎて腐らせたり、買わなすぎてひもじかったりしながら、小さい冷蔵庫見つめて、これ、紛れもなくわたしの冷蔵庫なんだなぁ〜と抱きしめたくなったりしている。


自分で買うことを始めると、10円の差が惜しい。


売り場にずらりと並ぶ各社のソーセージ。

シャウエッセンは高い。別格。

ちょっと悩んだけど、別のにした。


食べた。

ん?

美味しくない。

確かにこれもソーセージだけど、わたしの知っているソーセージの味ではない。


わたしはシャウエッセンで育てられたのだった。



これは何も、自分がとびきり豊かに育って舌が肥えている、と言いたいわけではない。

家族で外食に行くといえば、みんな大好きファミリーレストラン!だった我が家。

ジョナサンのお子様ランチについてくる宝石みたいなゼリーが大好きだった。特にキティちゃんの青リンゴ味のゼリー。あの独特の味、忘れられないし、それ以来不思議と出会ったことがない。

ココスでは毎年誕生月に行くとお祝いをしてくれて写真を撮ってくれる。店内にハッピーバースデーの歌が流れて、ケーキが運ばれてくるというお約束を何回やったことか。

その写真、まだリビングに飾ってある。


くら寿司のびっくらぽんは、一回目当たるまでがピーク。それ以降はもうどうでも良くなって、お皿の投入口に入らない麺類をすすった。どうでもいいけど、くら寿司の大学いもがちょっと好き。


入学祝いで都内のビュッフェに行ったことはあった。

でもその日は朝から、なんなら前日の夜から、ご飯抜いていざ出陣!と臨んでしまうような、なんとも愛おしい一家である。

ビュッフェと発音できず、"ビュッヘ"になってしまう祖父に、何度もビュッヘ、ビュッヘと言わせてゲラゲラ笑ってたことを思い出して、まだ笑えた。


そんな暮らしだったので、必要以上にグルメには育たなかったけれど、実家のご飯で「これ明らかに節約メニューじゃん」と思ったこともなかった。


スーパーに一緒に行った時、これはOKが安い、これはマルエツでしか買わない、など、あれこれ母が言っていたことをぼんやり思い出す。30円引きのシールが貼られたヨーグルトを買っていたことも。


節約とは、単にケチることではない。

使うはずだったけど使わなくなった10円を積もらせて、然るべきところに使う、ということなのだと、美味しくないソーセージつつきながら私はようやく気がついた。

私の母は、そうやって貯めたお金をつぎ込んで、私が3歳の時から乗っていたオンボロ自転車を買い替えようとはしなかったけれど、ソーセージはシャウエッセンを選んで、子供に食べさせようとする母親だったのだなぁ。

ぎぃぎぃ音のなるオレンジ色の自転車で、少し遠くのちょっと安いスーパーで特売の品、買ってきてくれる母親だった。


愛は食卓にあり、食卓は母の努力の結晶、という当たり前の事実。

母の愛を、ソーセージにて知る夜。


一人暮らしはこれだから面白くて、ちょっと寂しくもなるのだ。

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