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死ぬ間際、家族は家族になる。

ふと、これはもしかしたら生きていく上で大事にしたいテーマかもしれないな、と思うことがぽつりぽつり、たまにある。

最近人と話して、あ~これもぽつりのひとつだなと思ったので、忘れないうちに、自分のために書き残そうと思った。


私の父は私が20歳の時に亡くなった。膵臓ガンで、見つかったときにはもう手遅れで、余命がついて、あっという間に亡くなってしまった。

父と母は離婚していて、父とは小学校以来離れて暮らしていた。父は元から海外赴任をしていたので、正直それほど生活に変わりは無かったけど、当時の自分からすると、両親が離婚した、という事実は他の家族に比べたらとてつもなく普通じゃないことのように思えて、隠さなければならないことだった。

友達が家に泊まりに来た時に、「あれ、お父さんの部屋はないの?」とか「今日はお父さん家にいないの?」と聞かれるのが嫌で、先手必勝!と言わんばかりに、父はシンガポールにいると嘘をついた。父ごめん、一生シンガポールから帰国させてあげられなくて。笑

でも父とは月に一回くらい会っていた。小学校までは遊園地とか公園とかに行って、もう少し大きくなると、スタバとかに行って話すことが多かった。女性のキャリアの話とか、海外と日本の関係とか、やけに真面目な話をたくさんした。

離れて暮らしていたし、一定の距離を取っていたから、父は父親というよりは友達のような存在だった。母には言えない事も父には言えた。なぜか彼氏が出来たりしても父に先に言えた。

でも母と父は離婚していたので、当然だけど、あまり直接話さない。

父方の祖母とも、ほぼ会ったことが無くて、小さい頃に一度、父方の祖母の家に行って、出前のスパゲティを食べたことだけ記憶にある。それがバジルだったことは覚えていても、父方の祖母の顔はぼんやりとしたままだった。

母方の祖母のことはばあばと呼ぶけれど、父方の祖母はなんて呼んだらいいかわからなくて、全然しっくりきていないまま"おばあちゃん"とか呼んでいた気がする。


そんな日々が続いて、わたしは別にそれで良かったし、それで幸せは保たれていたと思う。


そして突然の、父、余命宣告。


どうしようか、という話になった。父には再婚相手もおらず、面倒を見られる人がいない。父方の祖母は高齢で体力がない。

母は自分も面倒を見るといいだしたが、離婚している夫を看取るとは、どういう気持ちなのだろうか、、とちょっと思った。私には2人弟がいるので、3人で会議をして、学生である自分たちもできることはやると決め、それから父の最期まで付き添う生活が始まった。


一緒に病院についていく、というところからはじまり、そして父親の家に通うことになった。

父の家にはこの時初めて行った。几帳面すぎる部屋が、わたし含めた兄弟の誰の部屋とも似ておらず、一緒に暮らしていたらもっと怒られたりしたかな、と思った。

入院生活が始まって、体調が徐々に悪化していくのに応じて病院が次々変わり、最終的には看取るための病院に移された。

死に向かうって、昨日できたことが今日できなくなることなんだと知った。

看取るための病院には私、弟、母、父方の祖母、が代わる代わる通った。もうここまでくると、背中をさするか、鶴を折るかしか、することはなかった。

でもいつも病院につけば、一応父は起きて、というか意識を覚まして反応はしてくれた。「おう」とか言われて、「おう」と返すくらいしかなかったけど。


いよいよ父もあまり起きてこなくなった。その時には私、弟、母、父方の祖母、母方の祖父母、母の姉まで病院にくるようになった。もうここまで来ちゃうと、バラバラでちぐはぐな家族はOne Teamと化していった。互いに連絡を取り合い、今日は誰が病院に行くかを共有し、動く。抜群のチームワークだなと思った。

一度離婚して、もう縁を切ったはずの人々が、もうすぐ死にそうな父を起点に集まる。なんだかすごい光景だなと今となっては思う。

不謹慎かも知れないけど、わたしは「家族」というものを感じるようになっていた。

家族5人で集まる機会が単純に増えたのもそうだし、5人集まったとてあまり平和にならなかった雰囲気が、弱った父を目の前にすると、優しい気持ちが溢れ、何故か笑って話ができたりするのだ。父方の祖母含めた家族のOne teamっぷりもそう。

ものすごく久しぶりに、ちゃんと父と母と、私たち兄弟が笑って話す瞬間が存在していた。

記憶の中でかすかに残る、5人家族がそろってテレビ見たり、ご飯食べたりしてる何気なくて大切で仕方ないシーンを、大事に思い出す時と同じ気持ちになっている気がした。


わたしは、本当はそういう、所謂「家族」というものにずっと憧れてきたのかもしれない。

別にこれでいいや、と思いつつも、多分本当はすごく欲しかったんだなと思った。

人を看取ることは悲しいし辛いし、向き合いたくないし逃げたくなる。

でも、それだけではないよな、と思った。むしろ看取れて良かった。じわじわ死に向かう父と向き合えてよかったな。おかげで毎日を大事に思えたし、家族が家族になっていく感じが味わえた。

父、さんきゅ。


死ぬ間際に家族になったら、遅いのかもしれないし、父からすればほぼ記憶に残ってないかもしれないけど、不器用な人と人をつなぐ強い何かが、人を看取るとき、人が死ぬときには発生するのかもな、と思った。



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