ガクセイ終わり!
6・3・3・4と16年間に渡ってやってきた、”学生”という身分が終わる。
最後の方は有休消化の如く、切れるギリギリまで授業を切りつつも、単位をひとつも落とさなかったことを教えてくれる成績証明書を見つめながら、いつの学生時代も結局、優等生から脱却できなかったなぁと思います。まあそれでいいんだけれども。笑
16年間かけて、ゆっくりたっぷり成長してきたな、と思うけれど、特に最後の4年間の大学生活で、わたしはいろんな出来事に出くわして、感情を上にも下にも大きく動かしてきたなと思う。
これ、なんて表現すればいいんだろう?と思う感情にもたくさん出会った。未だに名前の付かない感情もたくさんある。
そんな中でいつもちらついていたのが、和也さんの言っていた「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉だった。
直近2年間くらい、悲しくて切なくて、やるせないから全部投げ出してしまおうか、と正直思った日もあったけど、辛くてもしんどくても打ちのめされても、物理的に雨に打たれても、その言葉思い出して、まあこれは私にだから降りかかってきているものだろうなと、それなら頑張るしかないか~と前を向き続けてきた自分に対して、おつかれさま、よく頑張ったね、と言ってあげたい。
分かるようになったこともたくさんある。
自分が経験した痛みが増えるほど、人の痛みも分かるようになること。
でも完全に人の痛みを分かるのは難しいということ。
年を重ねて、経験が増えて、全部知った気になって、「わかるよ~」を連発するおばさんには、わたしはあまりなりたくないのかもしれない。笑
いくつになっても、”分かってあげている”というおこがましい自己満足を人に向けたくないなあ、と思う。
これ、今が出来ている、とかではなく、まだまだ伸びしろしかないんだろうな。
でも同時に、痛みに寄り添ったり、一緒に向き合ったりすることは、とてもうれしくて勇気が出ることだとも知った。
完全には分かり合えない中で、分かり合いたいと思うことは、時に切ない。
切ないけれど、素敵なことだなと思う。
中学の卒業式で担任の山田先生が言っていたことの意味が、今なら分かったりもする。
「友達は、たったひとりでいいんだ。たったひとり、その友達が居れば君たちは大丈夫。」
誰からもどうか嫌われませんように、、、と振る舞うことをやめた時に初めて、あ、わたしってすごい周りの人に恵まれている、と思えた。
富士山の上で友達100人とおにぎり食べても、本当は何一つ満たされないんじゃないかなぁ、なんて思ったりもする。
実は昔からいつだって、人からの優しさや愛情はそこら中に存在していたのではないかしら、と思う。
腹の底で本当は黒い思いも抱えながら、全く出さないで過ごした前半9年間の学生生活の中で、「みおちゃんといると、たまに辛くなる。」と言われたことが、たまに頭をよぎる。
八方美人やって、本音を隠して、無意識に鉄壁を築いた結果、見過ごしてしまったあたたかさがあったし、傷つけてしまった誰かがきっといた。
1枚ずつ鉄壁を剥がした結果、優しさや愛を素直に受け取る器だけは、とっても大きく強くなったように思います。人間らしさに包んだ多少の腹黒さと強かさも添えます。笑
あと、家族というものと、はじめてちゃんと向き合ったことは、本当に大きかった。
わたしには幸せな家庭なんて築けるのだろうか?と思っていた時期もあったけれど、今は全く思わないくらいに、ちゃんと愛されて育ってきたなぁと思えている。
いろいろあって家族って、一番難しい。
難しいけど、本当に大切で大好き!
そんなこんなで学生を終えるけれど、人生を俯瞰してみたら、今やっと高尾山越えられたくらいなんだろうな。
1年後くらいにこのnote見返して、うわ、自分甘っちょろいな、と思っているかもしれないけれど、これから目の前に立ちはだかるであろう、チョモランマもエベレストも、周りの人たちの助けを借りながら、どうにか越えていけると信じている。
チョモランマとエベレストって同じ山だけど。笑
うん、16年間の学生生活でやり残したことはひとつもないな。
本当に最高でした!
関わってくださった皆さん、ありがとうございました。
これからもどうぞ、お付き合いいただければと思います。
ガクセイ終~わりっ!!!