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車を運転することについて

車の免許を取ってから、ずっとペーパードライバーだった。
仕事で車で移動したり、物を運んだりしたい時も、
「ペーパーなので…」を言い訳にずっと乗らずに12年。

それが、2年前、仕事で、これはもうどうしても
自分で車を運転しないとどうしようもない、という状況が来て、
恐る恐る運転してみた。
そしたら、あれ、案外できるじゃん!となり、
あれよあれよと、仕事で何かと運転をする機会がくるようになった。
普通の乗用車に限らず、大荷物を運ぶ時となると、
ハイエースに乗ったり、2トントラックに乗ったり。
私が運転するようになるまでは何かと運転してくれていた人まで
気がつくと、助手席に座っていたりして、
あっという間に運転する人という立ち位置になってしまった。

ずっとペーパードライバーだったのは、
単純に、運転が怖かったから。
運転自体が、というよりは、
正しくは「自分自身のことが怖い」。
油断しておかしなハンドル捌きをしたり、
居眠り運転したりしてしまうんじゃないか、
と、自分を信じられない。

6年ほど前にも一度だけ、短い時間だったが
どうしても運転しなければならない時があり…。
それが正真正銘の初めての運転。
そのときは実際自分の感覚が信じられずに怖くて怖くて、
運転しながらずっと生きた心地がしなかった。
やっぱり向いていない、もうこれでおしまい、と
その時の思い出はトラウマとなって心に刻まれた。

車って箱の中に閉じ込められていろんな感覚が鈍らされた状態で
周りのあらゆる状況をキャッチしながら運転しなければいけない。
私は空間把握とか、瞬発的な判断が苦手なので、
その状態であらゆる危険を察知し、予測しながら運転するなんて
そんなこと私にできるの?と思ってしまう。
「一生免許も取らないし、車の運転はすることなく
この人生を終えよう」と、
子供の頃から自分の中でそう決めていた。

なのに、新卒で入った会社で、東京で働く気満々だったところ、
「女の子はみんな同じところに配属しておいたよ」という、
人事課の謎の配慮により
ものすごい田舎町に住むことになってしまった。
徒歩や自転車ではとても通勤できる感じではなく、
これはさすがに免許取らないとまずいか、と
慌てて大学卒業直前に教習所に通うことにしたのだった。

でも、いざ免許を取ってみても、やっぱり怖いものは怖い。
さらには、車そのものにも興味がないので、
車購入やその後のメンテナンスにお金を使うくらいなら、
週末東京に帰って遊ぶことに使いたい!と思ってしまい…。
結局「1日1本のバス」と「上司や同僚の人の車に便乗」で
通勤をなんとか乗り切り、
東京に戻るまでの数年、車の運転ゼロで田舎暮らしを乗り切った。
その後も東京暮らしでは大きな不自由なく、
車は不要と思いながら過ごしてきた。

そんな私が、2年前、えいっと運転してみたら、
6年前までとはずいぶんと感覚がちがった。
恐怖心がかなり和らいでいた。
なんの練習もしないで乗ったのに、
あ、大丈夫かも!と最初から思えたのだった。

車の運転そのものはしてこなかったものの、
その間の仕事で苦しくももがいてきた中での経験が
運転に必要な視野を少し広げ、
バランス感覚を少し磨いてくれた、という気がした。
なんとも不思議な感覚だったが、
そう説明するのがとてもしっくりくる。

車の運転が日常になった今も、
まだまだ苦手意識はあるけれど…
あのまま逃げ続けていたのでは見えなかった景色を
この2年でいくつも見ることができた。
それはあの日運転をした私が次の扉を開けたからだった。
それはとても嬉しく、驚きと発見の出来事である。

新しいことをやってみるというのは
自分の幅を広げるすごくいい機会なんだと
身を持って体感できたエピソードである。

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