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ホームシックとゴキブリ

先週の土曜日にようやく引っ越しをした。シェアハウスのルームメイトにうんざりしていたことは一つ前の記事で書いた通りであるが、生活基盤を整えて早くこの国と生活に馴染みたいという想いは日に日に強くなっていくばかりで、そんな折に出会ってすぐに意気投合し、デートを始めてから3週間ほとんど毎日遊ぶようになって付き合うことにした恋人がタイの田舎に行ってしまい、ぽっかり空いた時間をこれまでどうやって埋めていたんだっけ?
私はきっと新しい部屋に越すことをあまりにも期待しすぎていた。
1800リンギットと予算よりちょっと安く見つかったコンドミニアムの一室は、50平米と1人で住むには十分な大きさだった。ソファやベッドは古さを感じるけどカバーを被せれば大丈夫。木目の床のタイルは浮きや割れがあってちょっと怪しいけど、カーペットを敷けばなんとかなるだろう。オーブンも付いているしシャワーにガラス窓も付いている。
それに会社から2駅のSurianという街は、中華系の人が多く住んでいるせいかそこかしこにホーカーがあって朝も夜も賑わっている。豚肉を扱う肉屋さんやギラギラした看板の中華スーパー、コンドームも売っているビーガンスーパー、そして小さなショッピングモールも4つほどある。クアラルンプールの中心部まで電車で40分ほどかかるけど、そんなに都会に行く予定もないし、腰を落ち着けるにはいい街だなぁと思った。
引っ越しを決めたのは、8月末の内見から約1ヶ月後だった。

臭くて汚い部屋に絶望

内見の際に下水の匂いが部屋に立ちこめて酷いので、シャワールームと排水溝の掃除をしてほしいこと、彼氏がゴキブリを見たのでペストコントロールを事前にしておいてほしいことをエージェントに伝えた。エージェントのレイモンドという中華系の男性は初対面の時からとても感じよく、押し売りもしないので信用できそうな気がしていた。内見後の要望を伝えた時も「Sure!」と気持ちよく答えてくれたため、完全に信用しきっていた。
が、実際に引っ越してみたら、下水の匂いは相変わらずでゴキブリなんかその日の夜に10匹は見た(し、殺して処理するハメに・・・)。疲労困憊の状態で彼氏に電話して喚き散らかし、レイモンドに苦情を立てるも「オーナーに確認するね」というばかりで何も動いてくれないのであった。
まず、排水溝の匂い。マレーシアはトイレに排水溝が2つある。タイもおそらくそう。長らく使用されていない排水溝は匂いや害虫をブロックするための水が乾き切っていてゴミのような匂いが部屋に立ち込めてしまっている。とにかく水を〜と、シャワーや水道を20分ほど出しっぱなしにして様子を見るも、相変わらず匂いは酷い。そこで排水溝掃除のための液体薬剤を2本買い、1本づつたっぷり排水溝に注いで2時間おいてみることに。しかし悲しいかな、これもそんなに効き目がなかった。

タイにもあるミスターマッスル。1本17リンギで購入。

その後、理系の彼氏からのおすすめでさらに強い薬剤をMrDIYで購入して試してみるも変わらず・・・手袋つけて換気して、気合い入れてやったのに。
下水臭が酷すぎて、夜中に「臭!!!」と目がさめるほどだった。結局シリコン製の排水溝カバーを購入し、シャワーを使わないときは排水溝に蓋をしている。私のエージェントはこの排水溝やゴキブリの存在を隠し、対処せずに私に貸し出した。臭いものには蓋をせよ、私はフィジカルでそれを実現した。臭いものに蓋をしたエージェントのせいで。

かなり強い薬剤なので服や肌をカバーしてお使いくださいね。

家にある2つの排水溝を掃除するだけでもうへとへとなのに、ゴキブリもいるし、引っ越し初日はもう涙が出るくらい辛かった。こんな部屋の状態ならベッドにも間違いなくダニがいる!と確信した私はベッドで寝るのを避けるため、ブランケットとバティックを敷いてソファで丸まって眠った。ゴキブリが怖いので電気をつけっぱなしにして、煌々とした部屋灯りの中で朝の4時くらいに眠りについたと思う。ほとんど寝た気がしないまま翌日を迎えた。

1週間経つ、ホームシックが襲う

排水溝の匂いは蓋をしてどうにかしのぎ、ゴキブリは引越しから2日後の月曜日にペストコントロールに来てもらってようやく生活らしい生活ができるようになったのは引っ越しから5日後。Lazadaから届いたケトルでお茶を淹れたら、涙が出る気分で嬉しかった(家に備え付けのケトルは、パカっと開けたら溜まった水に大量の蝿が浮いており、それ以来ゴミ袋にいれて封をしてキャビネットの奥に封印した)。
Wi-Fiの契約も一筋縄で行かず、何故か私の銀行のデビットカードがWi-Fi会社の送金システムから弾かれてしまい、そのせいで不安定なホットスポットを使用したり家の近くのカフェに行くなどしてなんとかリモートワークや彼氏とのビデオ通話をこなしていた。
金曜日は会議が少なかったのでリモートワークにしてもらって、朝から第二回のペストコントロール、夕方はシャワーの排水溝のチェックにコンドミニアムのテクニシャンが来て、得体の知れない薬剤を排水溝に流してビデオに収めて帰って行った。もちろん匂いはちっとも良くならない。
仕事終わりはどっしり体が重く、全然働いた気がしないのに脳みそがプルプルになってしまったように感じた。生活基盤が整わないことのストレスはとんでもなく重い。どうにもこうにも辛くなって、金曜日についにホームシックが発症した。
辛くなって電話した彼に「もっと外に出て人に会ってみたら?」と言われて、喉が締め付けられる気がした。だって私にはここに友達がそんなにいない。それに「僕の学校(タイのコラートという田舎にある)に比べたら、Kieの環境は羨ましいよ。だって外に出ればバーやカフェがあるんだし、クラブにだって行けるでしょ」って彼から言われて、心の中の何かが折れた。確かに彼は週末しか学校の外に遊びに行けない。それも門限は8時と決まっている。でも、そんなふうに比べられて私はどうしたら良いというの。私には私の問題がある。誰かと比べられても何の慰めにもならない。

宇宙人の友達

ホームシックの時に話す友人がいる。タイで出会ってもう5年近く友人のYという、私と歳の近い日系アメリカ人。彼はカルフォルニアで生まれ育って大学を卒業してからベトナムのベンチャーで働き、コロナ中にバンコクへ異動。そして今年の2月に彼は「自分のルーツがある国に住んでみたい」と日本での一人暮らしを始めた。家族はみんなアメリカに居て、日本にはほとんど知り合いのいない状態で来日した。日本国籍を持っていても日本語がネイティブではない彼にとって、アパート探しは難儀だった。エージェントから「大家さんは外国人に物件を貸したくないそうで・・・」と断られるたびに私に愚痴をこぼしていた。そんな彼も2ヶ月前についに自分の部屋をゲット。アメリカ時間で仕事をしているため昼夜逆転ながら、バーでDJをする機会を増やしたり、行きつけの居酒屋を見つけてみたりと彼なりに日本での暮らしを落ち着かせようとしている。

28歳で日本を出るまでスーパードメスティック育ちだった私は、ホームシックという感情にエンカウントすることなんてなかった。それがタイ(3年半)→日本(1年)→マレーシア(2ヶ月半)の間に幾度となくホームシックと向き合うことになるのである。ホームシック状態の不思議でややこしい部分は、少なくとも私にとってだけど「ホームがどこなのかよく分からない」ということ。タイなのか、日本なのか。結局タイを後にして日本の実家でニート生活してた時だってホームシックになっていた。
外国暮らしなんてせずに日本で過ごしていたら、きっとホームシックと無縁の生活だったかもしれない。でも、もし、タイやマレーシアに移住するという選択肢をしていなかったら、きっとめちゃ後悔していただろう。

無理に人に会わなくていいけど、外には出たほうがいい

Yと話をした後もあまり気分が晴れず、金曜日の夜は鬱々とした気分で眠りについた。しかし翌日は「家から出なくては!」という気持ちが強かったので、近所のカフェに行ってこのブログを書くことにした。中国茶を出すモダンなカフェは中華系マレーシア人で賑わっていて、犬連れOKなため小型犬も数匹見かけた。楽しくお喋りをする人、誰かと一緒に居てもスマホの画面ばかりを見ている人、忙しく働く店員さん達を観察したり、徳谷柿次郎の「おまえの俺を教えてくれ」を読むなどした。
チーズハンバーグお茶漬けというなんちゃってジャパニーズ感満載のご飯と、プーアル茶とココナッツジュースのモクテルを飲んで、3時間くらい居座った。お会計40リンギット。気持ちよく店内を出た。

その後は街をぶらぶらと歩いて、予約していた歯医者さんで歯石とりをして、美容院で髪の毛を切って、ショッピングモールの熱帯魚売り場に行ってボケーっと過ごしたりなどして。家に帰ったら昨夜の曇った思考がかなり晴れたことに気がついたので、彼氏に電話をかけて2時間くらい話をした。私も彼も遠距離になってから環境が変わってネガティブなことばかり起きて、お互いに辛い現実をどうにかやりくりしようともがいていたけど、落ち込んでいる時でもこうして色々なことを話すことができて私は彼の存在をとてもありがたいと思う。

ホームシックになった時は無理くり誰かに会う必要はないけど、外に出ることは大事だね。

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