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10年以上していたX(Twitter)を辞めた話

皆はX(Twitter)をしているだろうか。
私はアカウントの転生(名前を変えてアカウントを作り直す)をしたりしながら10年以上呟き続けていた。

自分は軽度な方だがADHDと統合失調症の両方を患っており、このままでは好転することもなく、寧ろ転げ落ち続け、暗い地の底、何なら自殺まで待ったなしな気がどこかでずっとしていた。

齢30になったり、祖父が亡くなったり、コロナ明けに長年付き合ってた彼女を振ったりなどして何となく転換期な気がした、変わるべきではないか?と。

思い立ったが吉日、アカウントの削除をした。

消して最初の頃は「◯◯の評判を知りたい!ツイート検索したい!」「あの人の自撮り可愛いから最新の画像見たいな〜」「あー、同じような意見の人いないかなー同意見の人いるか調べてぇ〜」なんて欲求が凄かった。相当に依存していたんだなと実感させられる。

一ヶ月後にアカウントは消えるわけだが、消えた後は「フォロワーどうしてるかな…」なんて思いに耽るのである。

そんなこんなして2ヶ月、3ヶ月と我慢の日々が続いた。
まるでヤニカス、アル中が禁煙、禁酒の我慢するような感じだ。

月日は流れると少しどうでもよくなってきた。

仲のいいフォロワーと繋がっていたいと思っていたが現実で会うこともないなと気づいたし、他人の楽しそうな光景、美味しそうなご飯、喧騒、欲しくなるような商品の宣伝、自分の癪に障るようなツイート、政治的ツイート、そんなものが目に入らなくなり何と言うか自然と心に落ち着きができのだ。
あれだけ自分の居場所だと思っていたX(Twitter)はまるで都会にずっといるような楽しくもあり、心を逆撫でしてくるような酷く疲れる鬱蒼とした場所だったのである。

そんなこんなで気づけば今では遠くない旅行にはスマホを持ち歩かないぐらいになった、一緒に出かけてくれた人だけで思い出は十分だし、見知らぬ誰かとシェアする必要なんてなくなったから。

もし貴方が何となく疲れてたり、負の感情があったりしたらSNSを消すもよい、スマホの電源を消すもよい、一度でいいから休日に丸一日その画面から目を離して目の前の現実だけを見て生活してみないか?

ぼくは辞めたことでTwitterやGoogleの検索結果の箱庭の世界より、現実という世界の方が好きだと気付かされた。

そんなお話。

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