キョロ充が「道徳の系譜」を読むべき理由〜キョロ充的ルサンチマンの克服〜
キョロ充とニーチェには深い関わりがあります。キョロ充のルサンチマンを暴くことが、自分を変えられるきっかけになるのです。
「良い悪い」の様式は2つに分けられる
良い悪いという価値判断を下す様式には2つの種類があります。
貴族的評価様式と僧職的評価様式です。
貴族的評価様式とは、「自分=善い」という価値判断です。ニーチェはこの貴族的評価様式を目指すように言っています。
貴族というのは生まれながらにして強く、お金持ちで、頭が良くて、人望があるのです。弱肉強食でいう強者なのです。だから「俺様が常に良い」という思考法になります。
これが良いんです。これを目指すべきなのです。
一方、僧職的評価様式とは「あいつ=悪い」という価値判断です。ニーチェはこの僧職的評価様式を批判しています。またキョロ充こそまさに僧職的評価様式を持っているのです。
「あいつ=悪い」にたどり着くには2つのステップがあります。
1まず僧の教えを守る人は弱者であることです。弱者は弱く、貧乏で、馬鹿で、不人気なのです。苦しい生活を送っているから強い人たちを恨むわけです。
そして彼らは「反動」するわけです。「反動」とは「強い人たちに反抗して動く(闘う)」という意味です。ですが、貴族には絶対に勝てません。ボロボロに弱い奴は負けます。
2「反動」してもどうにもならない。だから「反動」のかわりに「反感」を抱くわけです。
「反感」とは「強い人たちに反抗した感情を持つこと」です。つまり「恨み」です。これをいわゆるルサンチマンというわけです。
「反感」とは例えば「ちぇあいつなんだよちょっとうまく行ったからって良い気になりやがって」といったような愚痴などのことを指します。
このような悪口が「あいつ=悪い」に通じます。
そして「あいつが悪い。つまり自分は良い」という恨みファーストで自分セカンドになるわけです。
例えば、キリスト教の教えで「贅沢はするな」といえ教えがありますがこれはもともとルサンチマンから由来しています。
そもそも贅沢になれないから、むしろ贅沢な金持ちらを悪者として捉えることで自分がいい人間だと思い込むのです。
キョロ充も一緒ですよね。
本当はモテたいのにモテることができないから「パリピはただのサルとビッチだ」と相手=悪の形式を作って自分を良い存在と認めるわけです。
「あいつ=悪い」だと何が起こる!?
1自分の欲求に対して素直になれない!
本来は金持ちになりたいしモテたいし強くなりたいという欲求があります。
ですがその欲求に従ってしまうと今度は「自分=悪」なってしまうと、自分で思い込んでしまいます。だった金持ちや人気者を批判してきたわけですから。
キョロ充が苦しいのに行動が取れなくなるわけです。
2現状の辛い状況にどんどん陥ってしまう!
「今の苦しい状況に置かれてる自分=良い」と思っているので、もっと自分を追い込む羽目になってしまいます。
自ら自分の首を絞める行為に走ってしまいます。
キリスト教では「現世が苦しいのは来世で幸せになるためです」という教えがあるために、信者たちは必死に自分が苦しい状況に追い込みます。低賃金で働き続けて贅沢もしません。
キョロ充も同じなわけです。悪口を言えるのがこの上ない快感だからいつまでもキョロ充であり続けるのです。チャンスも自分から消し去るのです。
常に「自分=良い」であれ
他人と比べる必要はなく自分の価値観を真剣に考えることが大切です。価値観を真剣に考える手助けとしてこのブログが参考になれば幸いです。