自分の今までの卒業を振り返ってみた
題名の通り今までの自分の卒業を振り返ってみました。
まずは幼稚園の卒業式は高熱を出して欠席しました。
六歳の記憶はほとんどない中でこのことはそうとうショックだったので覚えています。
この時の風邪はひどく一週間くらい寝込んでいました。
小学校の卒業式はちゃんと出席できました。
卒業式のしおりを今でも持っています。
大好きなO先生と離れたくなくてみんなで泣きました。
卒業式の練習の時に仰げば尊しの歌を先生たちにプレゼントしたいと私たちは希望しましたが、隣のクラスの先生が反対し、私たちは納得しないと怒るとO先生は話し合いの場をもうけてくれて、中立な立場で話し合いがうまく進むように対応してくれました。
反対していた先生も最後は折れてくれて無事に仰げば尊しを歌いました。
中学校の卒業式は涙もでず、高校生活が楽しみで仕方ありませんでした。
夢のJK気分で舞い上がっていました、でも高校試験はまだ結果発表されていないので不安と期待が入り混じった複雑な気持ちでなんとも辛い日々でした。
高校の卒業式は涙、涙で感動とさみしさと感謝の気持ちで溢れていました。
いい先生に巡り合えたら卒業式も泣いていたように思います。
担任の先生を振り返る
幼稚園の時のM先生は、私が幼稚園生活になじめず泣いてばかりいましたが、いつも抱っこしてくれ愛情をたっぷりくれました。
そんなⅯ先生は写真でいつも笑っています。
小学一年から二年の時の担任I先生は私がいじめをうけるたびに助けてくれました。
小学校三、四年のときのK先生はいつでも熱心で最後のお別れ会のときにはバレエの踊りを披露してくれ年賀状をくれたり、五年になった私たちをいつも心配してくれていました。
学生時代に担任になってもらった先生で一番は断然O先生です。
五、六年の担任のO先生は先生としても女性としても尊敬できる方です。泣いたり怒ったり笑ったりいつも真剣に向き合ってくれていました。
クラスでいじめ問題が浮上した時も芝居のシナリオを作ってくれいじめの問題をテーマにしたお芝居をみんなにするようにしてくれ、本番の芝居が終わるころにはいじめ問題はほぼなくなっていました。
そんな大好きなO先生の夢は『外国にいって先生をすること』と書いていましたが、私が卒業して数年後には夢をかなえておりハガキがきていましたが先生は誰よりもまぶしい笑顔で輝いていました。
そして高校の卒業式はこれからみんな就職や大学生と生活がバラバラになるのでもう一生あえないんじゃないかと悲しくて泣きました。
担任のN先生もいい方でご縁があって大人になってからも何度か会っていますが変わらない安定感で当時を思い出し安心をくれます。
私たち夫婦は高校三年生の時に同じクラスメイトでしたが、ほとんど話さず卒業するころに急にグループで遊びにいくようになり卒業後、夫が『無料の映画のチケットがあるからいかないか?』といわれそこから付き合いがはじまりました。
高校三年生で同じクラスにならなければ付き合って結婚もしていないと思います。Aちゃんに誘われて志望校にしていきましたが感謝です。
大人になってからの卒業
学歴は高卒ですが、私の卒業はまだ続きます。それは高校を卒業して三年続けた仕事先を辞めました。
辞める時に寄せ書きノートをもらい今でも大切に持っています。女性が多い職場でしたが皆さん夢と希望にあふれていていい人たちに巡り合ったと今でも思っています。
最近まで読み返していませんでしたがやっと克服できたような気がして素直な気持ちで寄せ書きノートを読み返しています。
今度遊びにいってみようかな。辞めたことを後悔していないしいい経験をさせてもらったなと思います。ありがとうございました。
次に働いた会社も四年ほどで辞めています。その会社もいい人ばかりでとてもいい思い出がたくさんあります。会長の奥さんの手紙が凛としているのに優しい文字は人柄がでており、私も年をとったらこんな文字がかけるのかな?それまでにしっかり練習しなければいけませんね。
ビールやお酒のおいしさを教えてくれたKさんはお母さんのような存在でいつも困っていたら私を助けてくれいろいろ教えてくれました。
他にも私を助けてくれる方々はたくさんいてチームワークのとれた会社でした。
海外旅行も何度も連れて行ってもらえたし、支社の名古屋でも名古屋コーチンを食べさせてもらったし、おおらかな社長は真の通っている方で尊敬する人の一人です。
自身の結婚式にもきていただきお祝いのお言葉もいただき、たくさんお世話になりました。ありがとうございました。
私はたくさんのいい人に巡り合えて幸せです。私のことを支えてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。
転職は辛くできればあまり経験したくないことですが、違う職場ではまたすばらしい方と巡り合えるチャンスがあります。
これで卒業を振り返るのは終わりですが、私は出産して育児が辛すぎてママ友作りを頑張りました。
はじめはこどもの為でしたが友達ができていくたびに私の心は救われ、いつしか私は子供のためではなく自分の為の友達を作るようになります。
最初にできたママ友Kちゃんをはじめ次回は『私のママ友の作り方』をお送りします。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
お時間があれば次回投稿した時も遊びにきてください。