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20200413

夜ごはんは、牡蠣ときのこのパスタ。にんにくと玉ねぎに続けて、缶詰のスモークオイスターと冷凍しておいたしいたけやしめじを炒めたもので、和えただけ。オカダが教えてくれたやり方。

言葉も、生活のしかたも、ほとんどが誰かから借りてきたもの。

メディアなど主流の社会で注目されるのは、そのうちひと握りで、中には立場とか属性で少数派だったり表に立てない人のものは、ないものとされて、多数派や表に立てるだけの能力を得られた人のものは価値があるとされる、みたいな風景をずっと見てきた。
本当はそこにずっとあったのに、見えないと思っていたもの、思われていたものの存在を示してみたい、あるいはそういう試みを土台に別の誰かが、ないものとされてきた声を広げる言葉を新しいやり方で積み上げてくれたらと、思いながら書いてて、この日記もたぶん、そういう意図でやり始めた。

成り行きでものを書く仕事に就いたから、目的は特になかった。とにかくお金を稼ぎたかった。ここ一週間くらいは、別の生業を作らないと、もう日本で生き延びるのは無理かもしれない、と思ってから、主に接客業で、日常的な差別や偏見に満ちた言葉や態度で迫られ、でも相手に悪意がないからその場ではやり過ごせて、後になってあれは暴力だったと気づくような、過去の自分を歯がゆく思った日々が、外に出る仕事を拒んだ理由だったとまた立ち止まる。

雨だった。部屋は、高速道路に面していて、毎日朝から昼間のあいだは二重サッシを通してでも車の走行音が抜ける響きが届いてくる。ここ一週間は静かになってきたけれど、4月に入って今日がいちばん音がなかった。
一週間くらい前に見終えた『愛の不時着』の、最終回間際で流れた歌が、IUのものでしかなくて、調べたらやっぱりIUで、それでまた歌を聴きたくなって『Love poem』を聴き返していた流れで、起きてから今日は『A Flower Bookmark 2』を流した。
柔らかいハモンドオルガンで始まる『잠 못 드는 밤 비는 내리고』(Sleepless Rainy Night)は90年代の歌手、キム・ゴンモのカバーで、穏やかなのに躍動への誘惑があって、わたしはうちで踊った。비(ピ)は雨の意味だと覚えているから、サビの「이렇게 가 오는 밤이면 / 내 지친 그리움으로 널 만나고」の、そこだけ聴き取って理解ができる。理解ができるというか、その言葉の意味するイメージを自分の内側に見つけ出せる。

元アンジュルムの和田彩花さんのラジオが3月で終わって、過去のものをネットで探して少しずづ聞いている。2018年の10月に、たぶん、あ、これわたしのことやなってわかる内容を和田さんが話してて、でもその当時わたしはラジオをちゃんと毎回聞いてなかったから、知らなかった。過去に自分がしたことが、今の自分を発見する。いや、もしかしたらわたしのことを話していたわけではないかもしれないけど、語られている言葉がなぞるのは、わたしと和田さんが話した30分だった。
IUは、アイドルとしてデビューしたけど、自分で歌詞を書き、曲も時々書くけど、A Flower Bookmarkのシリーズでカバーもやってて、誰かの曲に、音楽に自分の声を発見しているのがわかる、紛れもないアーティストでもあると思う。和田さんも、これからきっとそういう作り手になっていくんだろう。

Mini Theater AIDのクラウドファンディングに寄付で参加した。わたしは、自分のマイノリティ性に気づいた高校生のころ、そのことだけが理由ではないのだけど、高知市内の数少ない映画館、市民が有志で月に何度か公立ホールを借りて行ってくれていたミニシアター系の上映会、市立図書館のAVルーム(エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』も、そこでLDで出会った)が居場所だったから。
その後に、「マジョリティたちの連帯はこんなにも素早くで、それによる社会の変革はこんなにもスムーズで、そしてマジョリティが連帯の必要性を感じたとき、こんなにあっさりとマイノリティたちを気にしなくなるのかというのを感じる機会が、日々あります。」という、ゆなさんのツイートを見た。だから、リターンで観られる濱口竜介監督『親密さ』についてわたしが書いた、トランス女性の表象として取り上げた文章が今度出る本に収録されるから、Mini Theater AIDに言及する際にそのことと絡めて、見えにくいマイノリティの声を、芸術やその産業にはもちろん一般社会にも参入しにくい存在と、集まりやすいマジョリティの生存の試みを、どうにか交差できないかと考えて、ツイートした。

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