20200412
さっき、コンビニのレジ内で、たぶんマスクかティッシュ類について、朝早くに出かける会社員の人が買えなくなるから的な、品出し時間の分散を店員同士が話していた。それ自体が政治的やと思った。政治がその先にあると思った。
昨日の夜、同じコンビニにポリンキー(PBバージョン)を買いに行ったら、アイス類の近くにティッシュ類が出してあって、ボックスティッシュはバラ売りやった。分配の意識を感じていた。
ポリンキーは棚から消えていた。
夜ごはんはインスタントのお味噌汁、かぶの浅漬け、唐揚げ。
『スカーレット』やっと23週目。
135話で、慢性骨髄性白血病とわかった武志に喜美子が、「生きるで。もっともっと生かしたる」と言うところで涙が止まらなかった。わたしは、誰かからこう言われたかった。
138話までのあいだ、武志は喜美子や八郎、親族のみんな、友達、信楽の人々と交流していて、そこに省略や飛躍はあるだろうけど、ちょっとうらやましかった。でもたぶんやけど、このドラマのなかの人々は、喜美子は、武志がわたしと同じ苦悩の設定やったとしても「生きるで。もっともっと生かしたる」と言ってくれるだろうと信頼ができたから、ドラマから排除されていると思わない。
136話の直子の服がめちゃくちゃ洒落てて、かわいかった。首が詰まり気味なブラウンのニットに左肩から斜めに下半分が赤いレオパード柄、そこは黒のレースのテープを縫い付けてブロッキングされてて、スカートはヒョウ柄に、たぶんプリーツが入ってて、さらにその生地はライトブラウン。
しかも帰り道に上着が登場したんやけど、それも(たぶんフェイク)ファー。かっこよすぎる。
戸田恵梨香は十代から四十代まで演じ分けてて本当にすごいと俳優と思う。
social distancingとか外出制限がしんどいと聞くとき、もちろんそれまでの習慣の変容を求められるたいへんさや、こないだも書いたけど自宅・自室に長くいる前提でなるべく快適に過ごすことを念頭に家・部屋づくりができている人とそうでない人の差など、配慮が必要と思いつつ、ずっと自主的に、他者との適切な距離感を意識して生きざるを得なかった身としては、距離感を日々意識せずに済んだ人は、乱暴な物言いを承知で書くけど、お気楽だったのねと言いたい気持ちも湧いてくる。現実、ただの生活はもちろん、言説や表象のなかに、自我が存在し得るか、どうかと張り詰めている状態が当たり前すぎて。わたしは被害者意識が強いから真に受け過ぎないでほしい。
〈そもそも不均衡に傷つけられやすい人々−−たとえば性差別的な社会に生きる女性たち−−がこのような「選びとられたわけではない近接性」をとりわけ脅威と感じるのは、一面では当然のことである。社会的、歴史的により傷つけられやすい立場に置かれているほど、共存を生き延びられないリスクはより高まるのだから。しかし他方で、まさにそれゆえに、ある特定の場においてより傷つけられやすい側である少数派は選びとられたわけではない近接性を真っ先に自覚せざるを得ないことも、思い出されなくてはならないだろう。近接性が気づかないうちに生じていたことにあなたが事後的に気づいたのであれば、あなたはその特定の場における共存のリスクをより少なく負う側にいる、ということだ。〉
(清水晶子「埋没した棘」、「世界」2020年3月号 p.46、岩波書店)
代官山まで自転車で行って、帰ってきた。シェアバイクを最近よく使う。
駒場の東京大学の中の桜を、今年は敷地内で眺められなかった。
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