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沖縄について

これまで、沖縄について考えることはあっても、語ることがなかった。

理由は単純にきっかけがなかったのだと思う。沖縄出身の友人がいなかったことも、理由のひとつになっていた。東京郊外に住んでいて、仕事をしたり、たまに友人に会ったりするような毎日の中では、沖縄問題について語ることは、どこか勇気がいることのような気がしていた。

基地問題などについて話し始めたら、周りの友人たちは引くだろうと想像すると、躊躇していた。実際に私の友人たちの多くは、時事の話題になると、しらけた空気になる人たちだった。話の内容を聞き流して「そういう話は安易にしない方がいいよ」と言われたこともあった。

しかしある時から、私を取り巻く友人環境はがらりと変わった。

それはお笑い芸人の村本大輔氏の漫才を観に行った時からだった。その後まもなく彼の独演会にも足を運ぶようになった。

村本大輔氏は、時事問題をネタに漫才をすることで知られているが、彼の独演会はその時事性がさらに強く、1時間半のトークの間に日本と世界の様々な場所に、私の想像を連れて行ってくれた。辺野古や普天間も彼が私を連れて行ってくれた場所だ。

村本氏の影響で、私は自分の生活範囲にいる沖縄出身の人と話をするようになった。彼らが沖縄出身であることは知っていたが、今まで一度も基地のことについてどう思っているかなど、訊ねたことはなかった。デリケートな話題は振るべきではないと、思っていたからだ。しかし、実際に話し始めてみると、相手はフランクに返事をしてくれた。むしろ話が弾んだ。そして気づいたことは、私の方が沖縄問題をタブー視していたのではないか、ということだった。

私の中に相手を傷つけてしまうのではないかと臆病になっている部分があったし、また、沖縄に対して基地を押し付けているという漠然とした罪悪感もあった。変わらなければいけないのは、本土の人間なのだということが、自分自身を見つめることで分かった。話し相手になってくれてありがとうと、私が言うと、彼らから「沖縄のことについて考えてくれて、ありがとう」と返事をされて、戸惑った。私は今ようやく語ることを始めたばかりなのに。

それからしばらくして、新しい友人ができた。村本大輔氏のファン同士の繋がりで、漫才を観た帰りに一緒にお茶をするような関係に発展した。知り合ってあっという間に親しくなった。ファンというのは、同じ人を好きになっただけのことがあって、互いによく似た者同士だった。もっと言えば、私とその友人たちが似ているだけでなく、村本大輔氏も私たちとよく似ているのだ、おそらく。

そのせいなのか、私たちはお茶の席で、おのずと基地問題について語り合うことができた。「村本さんがいつも沖縄のことを独演会で喋っているから」という口実で、お茶の席がまるで彼の独演会の延長のごとく、熱く語る場が自然と生まれた。気心知れた仲間だから、意見が対立しても傷つくことはなかった。なぜって意見の対立こそ、村本氏が議論を深めるために求めていることだったから、彼の意志のようなものが私たちにも感染しているのかもしれない。熱く意見を交わしながら、気づけば何時間も過ぎていた。店のウェイターから「このお客、何なんだ?」と怪訝な顔で見られても平気だったし、むしろそんな状況を(お店の人には悪いけれど)楽しんでいた。

それからさらに時が過ぎ、私はついに沖縄在住の沖縄の人に会う機会があった。会ったのは川崎駅。那覇でないのが残念だった。

その人は普段から私のTwitterの投稿を読んでいて、私に興味を抱いてくれたという。彼女は桜坂劇場で村本氏の独演会を観ていて、私は都内の新宿や田町で同様にしている。沖縄と本土をまたいだ「村本繋がり」がここにもあったのだ。

私たちは初対面ですぐに打ち解けあい、村本氏の話題に花を咲かせ、そして基地問題の話をした。私の知識が少ないことも彼女は受け入れてくれて、そして彼女の沖縄の諸問題にコミットしようという固い意志と強さに、私は感銘を受けた。

その日は夕方まで語り合い、駅で別れる時にはハグをしあった。初めて会った人のはずなのに、彼女のことはずっと前から知っているような気がした。彼女は「沖縄に来てね」と言い、私は頷いた。

きっかけが大事なのだと思う。今まで時事に関する話題を躊躇してきた私だったが、いったんフランクに話せる環境を手にしたら、なんだか自由になれた気がした。「そういう話」というフレーズで括られる暗黙のカテゴリーを捨ててみると、視野が開けたようだった。

いつか近いうちに沖縄に行ってみようと思う。


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カワカミ ヨウコ
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