小説を生きる
—殺人とウェイトレスの関係—
小説を書いてからというもの、主人公のことばかり考えている。「寿司ロールとサーケで乾杯!」の主人公は19歳のウェイトレスで、作中には2050年のレストランの場面が多く登場する。
執筆中にずっとモヤモヤしていた気持ちが、書き終わった今になって、はっきりしてきた。モヤモヤの原因、それは、
私にはウェイトレスの経験がない、ということだった。
これまで様々なアルバイトをしてきたが、なぜかウェイトレスだけはやったことがなかった。主人公がウェイトレスだというのに、著者である私にその経験がないのでは、なんだか主人公に申し訳ないような気がするのだ。そのことを友人に打ち明けると、彼女はこう言った。
「別に関係ないんじゃない。殺人鬼の物語を書いた作家が、実際に人を殺したわけじゃないでしょう。人を殺した経験がなければ、人殺しの話が書けないわけじゃない。ヨウコが悩んでいるのはそれと同じだよ」
なるほど、とは思った。確かにそれはそうだ。刑事物の小説を書く作家たちが実際に犯罪を犯しているわけではない。
しかしなあ、と私はため息をついた。
殺人者よりもウェイトレス経験者の方が、世の中はるかに多いのである。
人を殺した経験のある人は世の中それほど多くはないから、殺人物を書くのには綿密な取材を重ねたり、あるいは純粋に想像の産物だけに頼った方が、かえってリアルな印象を読者に与えることもあるかもしれない。しかし、ウェイトレスをやった経験のある人は世の中たくさんいるのだから、実際の仕事の内容とほんの少しでも異なっている場面があったりしたら、読者はすぐに見抜いてしまうだろう。
と言っても、私の小説は2050年が舞台なので、今のレストランとは接客方法がだいぶ異なっている。イスラム教徒のお客さんへのハラール対応にスタッフたちは追われていて、イスラム教徒とヒンドゥー教徒を混同したりして、おもてなしにあくせくしている。その一方で、AI技術も進んでいて、お客さんを人種・国籍・性別・性的嗜好・政治志向などで分析して、食の好みを完璧に見透かしている。テクノロジーと宗教が交じり合うおもてなしだ。
それでもやはり、悩みは消えなかった。
未来のレストランがどんなふうであろうとも、現在があるから今があるのだ。だったらウェイトレスをやってみよう。そう思った。
これから小説の編集や推敲を重ねていく上で、現実のウェイトレス経験が作品に新たな可能性を与えてくれるかもしれない。
そして私はバイトの面接に行き、先日ついにウェイトレスになった。面接でこの仕事に応募した理由を聞かれた時は、「小説のためです」と喉から言葉が飛び出しそうになるのをなんとか堪えて、「オープンしたばかりのお店に興味を持ちました」と白々しく答えた。
接客中、店の片隅に19歳の主人公がいて、私のことを見ているような気がしている。ときに彼女は早く出版を進めてくれと私を急かし、ときには私に焦るな、本はじっくり作るものだよと、店の隅から語りかけてくる。彼女が活字となってページの中に立ち上がってくれる日まで、私は頑張りたい。
思うところがあり、「寿司ロールとサーケで乾杯!」は出版社を通さずに自力で本にしようと考えています。現在、noteで募集をかけている編集者はまだ足りていません。今のところ50代の方と25歳の方の2人候補がいますが、できればもう少し多くの候補から選ばせて頂きたいと思っています。プロの編集者でなくても、小説が大好き!という方なども、私の出版プロジェクトに加わってくださると助かります。なにせすべてがゼロの状態からのスタートなので、どんな手助けや情報提供でもありがたいです。また近々、「無名のど素人が本を5000冊売るまで」というテーマで、クラウド・ファンディングを立ち上げる予定です。編集者探しから、校正・推敲、印刷して出来上がり、そして販売までのプロセスをみなさまとnoteで共有したいと思っています。ご支援のほどよろしくお願いいたします。
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