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乗り越えた夜になって
現在の僕はそんなにいい状況じゃない。
僕は精神障害者だ。とあるいじめがきっかけで精神障害を抱える1人の障害者となってしまった。
今現在、就労移行支援という障害者の就労施設に通って、就職の準備をしているのであるが、ここ最近体調が安定せず、週2日か3日しか通えなくなってきている。
スタッフからもそっけない態度を取られたりするなど、色々と正念場なのは確かだ。
ただ、この状況にも満足している自分がいる。なぜならやれるだけのことはやったからだ。実は自分は就労移行支援を4度使っている。一度目は謎の体調不良が出てしまい退所した。2度目は謎の場面緘黙症のような症状が出てまた退所。3度目で違う就労移行支援を通ったが、違う県の就労移行支援だと一年期限が伸びるという特例があったため東京の就労移行支援を利用した。
しかしそこでも、緘黙症は消えたが、不定期に体調不良があったため、週4日しか通えなかったため、就労継続支援A型という障害者施設を通して福祉的就労した。しかし、そこでもスタッフからのパワハラなど、続けるのが困難な状態な環境もあり、半年近くで退所した。
それからは、せっかくの休みなので、色々なところに遊び行った。すると、調子も戻ってきた気がしたので、最後のチャンスと思い、4度目の就労移行支援を利用再開した。初めの半年は週5日で通えていたのだが、また調子が悪くなってしまい、週2日、3日と通うのが難しくなってしまった。
そして今現在、のこり就労移行支援の利用期限が半年を切っている。このままでは謎の体調不良で就職できないかもしれない。
だけど…。それでもいいのかもしれないと思うようにもなった。もうやれるだけのことはやったのだから。頑張ってきたんだから。誰にも責めることはできないと思うほど頑張ってきた。
その事実を。これまでのあった出来事を思うと、満たされる感覚があった。もうやれることはやった。
諦めるとか諦めないとかそういうことじゃない。
どうなってもいいんだ。
今思う。幸せとは今だと。
それは、誰にも理解されないもの。それは僕だけのもの。
だから。これでいい。
これから先自分の人生がどうなろうと、僕は後悔できない。するわけがない。
もうやり終えたから。自分の人生を生き切ったから。いろんな人を傷つけた。傷つけられてきた。だから見えるものがあった。
ただ。僕は今幸せになったのだと思う。
それは、結果的そうなったんだ。働けるから幸せとか、物質的に恵まれたから幸せとか、人間関係に恵まれたから幸せとか、そんなんじゃない。
苦労してきた。人並み以上に苦労に苦労を重ねてようやく見える景色があった。
そうなると、どんな経験も受け入れることができた。世界が美しく見えたのだ。ただ、息を吸って吐くことがとても尊いのだと思えた。
存在しているだけでいい。
それは、誰にも理解されないかもしれない。ただ、苦労し尽くしたからこそ、見える景色があった。それは心の豊かさだった。
何よりも大切なものを手にしていた。
それはもう失うことはないのだと思う。僕の体に刻み込まれているのだから。
おしまい。