物語なんてなくても
高い山を登れば絶景が見れるわけでもない。早く諦めた方がよかったことなんて腐るほどあるけれど、歩くことを拒むことを諦めることはできない。
壊れるまでは、いやもう壊れているのかもしれないが、敗戦処理をして、負けが決まった勝負をどう受け入れるのか。
そう人生から問われているのだろうか?
「それでも美しいものがあると、何かこころの奥底に語りかけてくるから。」
だから生きているのだ。
こころの叫びがまだ残っているのなら、それはそれで素晴らしいことなのかも知れない。
例えそれが勘違いだとしても。
ゾンビのように生きながらえる人ばかりなのだから。
今更、救いがあればいいというわけでもないだろ。
可能性なんてないんだ。可能性なんてないんだ。
その中で、命を大切になんて言えないよ。
自分を粗末に扱ってもいい。ただ、一瞬でも命を輝かせることができたなら、もう悔いはないのかもしれない。だがもう最後の一振りだ。きっと空振りだ。しかし、これ以上力を出せるものか。これ以上自分を痛めつけられるものか。これ以上負けた自分を受け入れてたまるか。
生きてなお、死んでいる。俺はもう生きてはいない。これで最後の文章かもしれない。だからもう手遅れだ。手遅れだと言ってくれ。心がそう叫ぶ。
一瞬でいい。熱く煌めいてはくれないか。もう一度だけ、ほんの1秒だけ、光をもう一度。生き恥を晒して寿命までは生きてみせるから。
「もう一度だけ。熱く煌めいてはくれないか?」
心が壊れても。
その時までは、まだ希望が残っているのなら。
生き延びてみせるから。
物語が終わる。
もうとっくに終わっている。
わかっているから。
生きている。