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メイドや執事なんかの分類についての話②

前回までのおさらい

 前回までの話ではメイドや執事などの使用人は上級・下級に分類できると説明し、上級使用人についての話をしていた。詳しくは前回を参照してもらいたい。

 さて今回の話は下級使用人(lower servant)の話になる。
 しかしその前に説明しておきたいのは、こうした下級使用人の多くが女性によって占められていたという点だ。

 前回でも軽く触れたが、単にメイドといってもその種類は非常に多岐にわたる。そして家事労働に従事していたのは大半がこうした下級使用人であるメイドたちであり、女性たちだった。
 それではなぜ下級使用人の大半を女性が占めているのか?その理由は18世紀末ごろまでさかのぼることになる。今回は下級使用人の分類を説明する前に、前提となる使用人の変化について説明しておこう。

かつて使用人の大半を占めた男性

 使用人という大本をたどると、その根源は中世にまで行きつく。今回はそのあたりの歴史まで説明はしないが、簡単に言ってしまえば若年の貴族がマナーや立ち振る舞いの勉強としてほかの貴族のもとで使える習慣があった。それが時代とともに変化し、労働者としての家事使用人が誕生する。この近世における家事使用人はまだ大半を男性が占めていた。
 しかしそうした状況が18世紀末ごろから変化する。この頃イギリスはアメリカ独立戦争を争う真っただ中にあり、その戦費を賄うための新たな財源を求めていた。その財源として選ばれたのが使用人であり、1777年に使用人税として導入された。これによって男性使用人の雇用コストが上昇し、結果として男性使用人を雇うことは一種の富を誇示するための存在と変化していった。そしてより安価な人材として課税されない女性に注目が集まり、中流階級の拡大とともに女性使用人が増加していった。
 より細かく言えば18世紀後半に男性使用人がことあるごとにチップを求めて客人と揉めることがあったなど様々な要因があるが、大きな影響を及ぼしたのは使用人税の導入だった。

 さてたくさんいる下級使用人を説明する上では、ある程度男女や立場、担当していた仕事などで分けて説明しなければいけない。そのため細分化されている女性の下級使用人について説明する前に、ある程度数の限られていた男性の下級使用人について説明してしまおう。

男性下級使用人

 先ほども少し触れたが、19世紀になってくると男性使用人は富の誇示に使われるという新たな一面が増えていった。コストの増加などから貴族の屋敷など一部でのみ雇用されており、使用人の大半は女性が占めていた。そんな中でも存在していた男性使用人の中でも様々な職が存在しており、上下関係がはっきりと分かれていた。

・フットマン

 男性の下級使用人の中で中核をなしたのがフットマンだ。彼らは主人一家や客人のもてなしを仕事とし、荷物運びや食事の際の配膳を担っていた。彼らはその役目上、主人一家の対応だけでなく客人への対応もするために一定数用意しておく必要があった。そのためフットマンの中でも分類がされ、上からファーストフットマン、セカンドフットマンのように順序で分類されていた。
 こうしたフットマンは使用人の中でも人前に出る機会が多い。そのため雇用の際にも経歴だけでなく、身長や見た目そのものも重視されることが多かった。フットマンに限らず人と接することが多い使用人では身長と見た目が重視されることも多く、雇用の際に条件付けされることもたびたびあった。

・ホールボーイ

 フットマンの見習いとして雇われていたのがホールボーイだ。主には20歳以下の少年がなるものであり、歳以下の少年がなり、女性のエスコート役や使用人たちの靴磨き、必要に応じて来客の対応などをこなした。これ以外にもページボーイ、ハウスボーイなど○○ボーイと呼ばれる職は複数あり、仕事も似ていたりするなど厳密な区分はそこまでなかった。こうした下働きになると分類が明確であったわけではなく、主にホールボーイとして扱われていたこともある。要するに雑役のための少年であり、靴やナイフ類を磨いたりする少年くらいのざっくりとした内容で求人広告が新聞に出ていたこともあった。

 男性の下級使用人の主な役職は以上になる。あとはバトラーの補助やより細分化された仕事を任された職などが設置されることもあるが、そのあたりは屋敷によってさまざまなのでそこまでメジャーではない。

女性下級使用人

 女性の下級使用人は家事使用人という分類の中で多くを占めていた。そのため分類も多様であり、掃除から料理、洗濯に接客などなど各家事労働に従事していた。その仕事の多様さはあるものの、屋敷によっては仕事の分類はあいまいな部分もあった。例えば代表的な女性下級使用人であるハウスメイドは主な仕事が掃除であるが、あらゆる屋敷で掃除専門の家事使用人として働いているわけではなかった。場合によっては客人の対応をする場合もあったし、主人一家の対応をする場合もあった。一つの仕事が常に一つの家事労働に従事するわけではなく、ほかの屋敷では細分化されている仕事の別の屋敷では1人がこなしていることもあるなど屋敷によって仕事の分類はさまざまになっている。
 分類がさまざまあることから、この記事では主要なものに限って話をしていく。より細かい分類や実際の事例が気になったら本を探して読むときっとたのしいぞ。

・ハウスメイド

 先ほど軽く言及したハウスメイドは掃除をメインの仕事としつつ、洗顔・入浴用のお湯の運搬や、薪や石炭を運んで暖炉の準備をするなどがあった。

 貴族の屋敷のような大きな屋敷になるとお湯の準備にも一苦労だった。というのもお湯を沸かせるのは屋敷の中でもキッチンだけだが、前回の話でも触れたようにキッチンは屋敷の中心から離れたところにある。においや火事対策が理由だが、このために入浴や洗顔のためにはキッチンから主人の部屋までお湯を運ばなければいけなかった。
 この大仕事は19・20世紀にもなくなることはあまりなく、ハウスメイドの厄介で大変な仕事として挙げられることもある。こうした背景には貴族の屋敷の多くが中世・近世からの城や建物だったことが関係している。こうした建物で水道設備を設置するには壁を壊して大規模な工事をやる必要があり、そのコストは非常に大きくなった。また新たに屋敷が立てられる際でも、旧来からの貴族の中には古典的な考え方を持つものもいた。つまり家事使用人は汗水たらして働くものであり、楽をするために水道や暖房のような設備を設置するべきではないというのである。そこまでいかずとも、新たな技術を積極的に導入することへの抵抗感や違和感を抱き、コストと照らし合わせて水道・暖房・電気設備の導入を見送った貴族もいる。このため近代になっても家事使用人の仕事は体力を必要とするものも多かった。

 広大な敷地をもつ貴族の屋敷においてはこうした掃除によって部屋ごとの維持管理をすることは重要であり、多くの女性がハウスメイドか皿洗いを担当するスカラリーメイドとしてそのキャリアを始めることが多かった。こうした掃除をこなす上では上流・中流いずれの家庭でも多くの部屋を掃除する必要があった。そのため掃除用の道具を専用の箱に入れて持ち運ぶようになっており、ハウスメイドに支給品としてこうした掃除道具を渡していた。
 またハウスメイドも数が多く、フットマンのようにファースト、セカンドという形で分類されることもあった。しかしこうした分類がされるのは大抵多くの家事使用人がいる貴族の屋敷などであり、ジェントリや中流階級の家庭ではそこまで細かく分類されるほど雇われてはいなかった。ファーストハウスメイドのベッドメイキングといった身の回りの世話はより下位のハウスメイドが務めるなど、使用人間の厳格な階級差はこうした点にも表れている。いずれにしても彼女たちの仕事は非常に多岐にわたり、その仕事量から労働時間が長くなることも多かった。

・パーラーメイド

 パーラーメイドは主に接客や客間での対応のために設置されていた。こちらも貴族の家庭と中流階級の家庭のどちらでも見られたが、メインの仕事が接客であるため中流階級の中でもある程度複数の使用人を雇うなど余裕がある家庭に限られた。 食事の際の給仕なども担当しており、家事使用人の中でも人前に出ることが多かったことから、身なりがしっかりときれいにされてあることが求められる仕事だった。

・ランドリーメイド

 彼女たちはランドリーの名の通り、洗濯を担当するメイドだ。家事使用人の中でも人手が必要になる掃除、料理、洗濯の各部門には多くのメイドが配置されていた。その中でも洗濯を担当するランドリーメイドは仕事が多かった。屋敷の規模が大きくなればなるほど、日常の衣服や使用人の制服、さらにテーブルクロスやベッドシーツなど多くのものを洗濯する必要があった。こうしたことから貴族の屋敷では大規模な洗濯場が設置され、そこで多くのランドリーメイドが働いていた。
 季節の変わり目で貴族がロンドンと屋敷のある地方を行き来する際には洗濯も大規模になり、多くの部屋のカーテンやシーツを洗う大掃除のようなものがあったことから、時期に応じて忙しさにも変化のある仕事でもあった。

・スカラリーメイド

 最初に家事使用人として働く場合、多くはハウスメイドかスカラリーメイドとしてキャリアを始めることが多かった。これはどちらも体力を必要とする厳しい仕事であるため、常に人手を募集していることが多かったからだ。特別なスキルも必要とされず、下働きとして各屋敷で働くことになっていた。
 しかし彼女らの担当する皿洗いはかなりつらい仕事だった。今の時代でも水仕事は手が荒れたり、ひび・あかぎれに悩まされることもあるだろうが、この時代はなおさらである。洗剤自体が肌に悪いものだったり、舞踏会や晩さん会でもあれば皿洗いに準備の手伝いに大忙しになった。そのためスカラリーメイドの手記では辛い思い出として語られることも多く、そうでなくとも別の家事使用人が泣いているスカラリーメイドを目撃した、仕事が辛くていつの間にかいなくなっていたなどのエピソードには困らない。
 皿洗い以外にはキッチンの床掃除や調理道具の用意、さらに狩りで鳥などが捕れた場合は羽や皮をはいで調理の下準備をする必要があった。このようにスカラリーメイドはかなり大量の仕事をこなす必要があり、体力的にも精神的にも厳しい仕事になっていた。

 ちなみに余談だが、いろいろなメイドの手記や体験記を読んでもあまりいい話は出てこない気はする。筆者の感想ではあるが、キッチンでの下働きでは大抵が苦労話で占められている。どの調理道具を用意するかわからず、それぞれ一種類ずつ置いておいたら鼻で笑われた、鳥の下ごしらえで卒倒しそうになったなどなど山ほどある。一応スカラリーメイド自体は特別なスキルがいらないとされてはいるが、実際には鳥を食材として準備するために羽や皮をはぐといったこともやらなくてはいけなかった。こうしたことは手取り足取り教えてもらえることも少なく、人がやってるのを見よう見まねでまねるとかそういう話もある。
 それ以外では19世紀くらいの衛生観念を示す話もある。今のようにキッチンを清潔に保つような概念はなく、屋敷が大きくなれば黒いアレ、Gが結構いることもあった。そしてその始末も下働きでスカラリーメイドがやらされることもある。Gを集めるための道具を寝る前に設置し、朝になったらどっさりアレの入ったその道具を火のついた窯の中で開け、石炭や薪ごと灰に還すなんてこともあったという。
 さすがは鉄の女を生んだ国イギリス、ちょっとやそっとでギャーギャー言っていては家事使用人は務まらないということだろう。

・キッチンメイド

 キッチンにおける調理はコックがすべて行うため、キッチンメイドの仕事としては主に調理補助だった。食材の下ごしらえやオーブンの管理などを担い、それ以上の雑務はスカラリーメイドの仕事となった。キッチンの規模によってはこうしたキッチンメイドもファースト、セカンドと位によって分けられていることも多く、そうした場 合スカラリーメイドから昇進してキッチンメイドになっても下の位から始まるため、根本的に仕事が変わるよりも一部の仕事が変わったり増えたりするだけという場合もあった。

階下の世界(ビロウ・ステアーズ)

 下級使用人の説明は以上になる。ビロウ・ステアーズと呼ばれるこうした家事使用人の世界は、説明からもわかるように非常に辛い仕事でもあった。こうした仕事に女性たちが集ったのは単に選択肢が少なかったというのも事実だが、それ以外にも複数の理由があった。
 家事使用人になる女性たちの多くは農村部出身だった。こうした農村部の家庭では子供が多いわりに収入が少ないことも多く、そのため子どもはだいたい12歳くらいで働きに出ることになっていた。そうした際にできる仕事というのは限られており、その大きな受け皿になったのが家事使用人だった。
 そして19世紀も半ばくらいになってくると、親家族や親類、はたまた近所の人たちで家事使用人をやっていることも多かった。そうした既に働いている人からの情報や紹介によって仕事を見つけることがしばしばあり、何の当てもなく都市部に出て工場に仕事を見つけるよりは堅実だった。そのため親としても情報が豊富な家事使用人になってもらいたいという親も多く、親の判断で家事奉公が決まって泣く泣く家を出た少女たちも手記ではよくみられる。こうした状況の変化を待つには19世紀末ごろを待たねばならない。このころから変化がはじまり、そして第一次大戦を境に女性の労働環境は大幅な変化をするに至る。

 今回は主要な使用人の分類について説明したが、たびたび話しているように屋敷によってはより細かい分類がされていることもある。イングランドの家事使用人の世界に興味を抱くことがあれば、図説などのある本を読んでみるとおもしろいかもしれない。

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