共依存5

そこから母との関わり合いが少しずつ変わっていった

相変わらず事を大きくしすぎる癖はあったものの、ある程度否定的な意見を押し付けることがなくなっていった

それに加え、私と娘にやたらと会いにくるようになった

基本的な会話は娘のこと、夫のこと、夫の家族の事。


いつも『あっそう』と返事をし、私もそうだったわ!私の苦労と一緒だわ。など付け加えていたが、時にそういう返し方をされると『ママとは違う。ママみたいには絶対しないし、ならない!』と反発した。

それまではそんな言葉を言えばきっと頬を叩かれていたのに、今はそんな時でも『あっそう』という返事だった

彼女のあっそうは投げやりなものではなく怒りのようなものでもなく、この話は終わり。という合図みたいなものだった。


母が私の話を受け入れるようになってから色々な事を話すようになった。すると母も色々な話をするようになった。



ある日わたしは母からノートを渡された。


普通のキャンパスノートに今日あった出来事、食べたもの、体温などを保育園の先生と母が交互に書いていた。


『仲良しのお友達のお誕生日会に行きました。最初は緊張していたものの徐々に楽しくなってきたようで、帰り道では早く誕生日会また行きたいなんて話してました』

『昨日は保育園から帰ったらすぐに寝てしまい夜中に帰ってきた父と一緒にお風呂に入りなおしたら目が覚めてしまったようで遅い時間までおうちカラオケをしてたので今日の朝は眠そうです。』

『休みの日、美容室にいって初めて髪を切りました。美容室の人にどんな風に切る?と聞かれ、ちびまる子みたいにしてくださいと答えていました。美容室中に笑いがおきてましたが本人はかなり真剣な顔をしていたのでそれにもまた笑ってしまいました』


見ているだけで、楽しい幼少期だったんだなということが分かった。

いつから母と上手くやっていけなくなったんだろう。

なんで愛されなくなったんだろう。

ノートを見終わった後に聞いた。


すると母から『あなたの父親が本当に嫌だと思った時に全てあなたに当たっていたのかもね。分からないけど。あの家にいた時はずっとイライラしていたの。離婚したい。早く出たい。でもあんた達がいる。今でも夢であの家であんた達が酷い目に遭って泣いて縛られてるのに私はそこに辿り着けないっていうシーンをよく見るの。いつも同じ夢。』

だから不倫したの?正当化じゃん。

『それはもう逃げる場所でしかなったの。本当に辛かった。』

どれだけ母が好きでも考えは幼稚だし無責任だという事は覆せなかった。

それでも、愛情というものがない訳ではなかった

今まで聞いたことのないエピソードで尚更感じた。


『あんたの妹を産む時、入院しなければならなくて1日2日前にはもう病院に行ったんだけど、あんたと夜に離れたことがなかったから寝れなくて。電話したら、ママーってずっと泣いてて。こっちまで号泣よ。病院に来た時も帰りたくないってずっと泣くもんだから、娘を泊まらせたい!って私も泣きながら看護師さんたちに言って困らせたわよ。病院から徒歩10分よ?ほんと可笑しい!

陣痛が痛すぎて、『もうこの子いらない!!わたしはあの子だけで充分なの!!はやく終わらせてー!』って叫んだらしいわ。ずっと入院中みんなに言われたわよ。

お見舞いにきたあんたが可愛すぎて産んだ子ほったらかしてずっと抱っこしてたの覚えてない?ずっとベッドに一緒に寝てたのよ。髪の毛結んだりご飯食べたり、あんたといる時間が本当に幸せだったわ。』



聞いてるだけで涙が溢れた

なんとなく覚えがあったが、単純に私が寂しかったという記憶だった。父が凄く困っていた顔ばかり思い出す。

話をしている母も思い出し涙を流していた


母は私に対してぶつかりやすく当たりやすく

分身のような存在だと言った。



いままでの虚無感はなんだったのだろう。

母に愛されていないと言うことで人に依存しやすかった私は、夫に離婚を突きつけられた時、やはりかなり時間がかかった。

かなり依存していた。


育った環境で依存を覚えてしまった私は、母からの愛情に気付いたところですぐにその癖が解ける訳ではないけれど結局1番に依存していたのは母へだった。

又、母も私にずっと依存しているのだった。






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